2008年8月20日水曜日

清原引退

 けがで戦線を長期離脱していたオリックスの清原が復帰した。大リーグを解雇された桑田が清原のバッティング投手を申し出たと聞いて感慨深かった。ふたりが抱えた業の深さを思ったからだ。

 桑田と清原は、PL学園のピッチャーと四番打者として一年生から甲子園で大活躍し、日本中の脚光を浴びた。はやくからプロ入り、しかも、巨人入りを熱望していた清原に対し、桑田は進学を宣言していた。実際に、桑田の早稲田大学進学が新聞でも報じられた。

 体格的に劣る桑田(公称175cmであるが、実際はそれよりも背が低い)は、プロ入りする前に大学でじっくり鍛えたほうがよいという評論家の意見もあった。清原も、桑田の早稲田進学を信じていたはずだ。さらに、巨人はドラフト会議で、清原の一位指名を内々に約束していたという。

 ところが、日本中を驚かす事件がドラフト当日に起きた。なんと、巨人が桑田を一位指名したのである。この時の巨人軍の監督が王貞治である。さらに、驚いたことに、早稲田大学進学を宣言していた桑田が、巨人入りを表明するのである。

 清原は、巨人軍と尊敬していた王監督に裏切られただけではなく、無二の親友にも同時に裏切られたのである。その時の葛藤はいかなるものだったろうか。清原は、人目もなく涙を流してくやしがった。結局、西武ライオンズが清原を獲得することになる。

 このドラフトについては、いろいろな密約説が世間で喧伝された。桑田をどうしても欲しい巨人が、清原と世間を欺いたというのである。真相はいまだに分からない。しかし、この事件が三人のその後の人生に与えた影響は大きかったと思う。今回復帰した清原を徹底的につぶせと王はピッチャーに命じたらしい。

もし、あの時、巨人が清原を指名していたらどうだったろうか。桑田はもっと勝ち星をあげていたのでなかろうか。王は巨人を追われることはなかったのではなかろうか。その清原は今期かぎりの引退を表明した。

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