2007年9月30日日曜日

郵政民営化

郵便公社が民営化される。新聞は、地方の簡易郵便局が閉鎖されるとして、地方切り捨てと非難している。
しかし、そもそも非効率きまわりない郵便局の運営や、郵貯の金が財政投融資などを通して特殊法人に湯水のごとく使われ、国の隠れ借金をつくってきたことが問題ではなかったか。
さらに思い出すのは、渡切費(わたしきりひ)というとんでもない金の存在である。これは、その名の通り、領収書の不要な金で、なんと、年間900億円が特定郵便局長に垂れ流しされていたのだ。その一部は自民党に還流されていた。
こういう負の面を清算するのが民営化であったはずだ。だから、国民も小泉さんを支持したのだ。それを忘れてはならない。

2007年9月29日土曜日

17歳の死

 相撲部屋に弟子入りした若者が、拷問で殺された事件は何とも悲しく、また、くやしい事件である。拷問のことを「かわいがり」と呼ぶ相撲界の醜さには言葉がない。過去にも20人が同様の死に方をしているという。それが隠蔽されてきたのだから、相撲界の闇は深い。

 ただし、陰湿な体質は、日本の他のスポーツ界にも蔓延している。指導と称した「いじめ」は、すべてのスポーツに共通だ。いや体育会系と呼ばれる運動部に共通と言った方がよいかもしれない。
 このような陰湿さはアメリカにはない。日本では、先輩の権力は絶対である。確かに、年上を敬うという行為は大切と思うが、それを逆手にとって、年上ならば何をしても構わないという考えはいびつである。きちがいに刃物を持たせるのも同然だ。
 バレーボールのエースが年下というだけで、補欠の年長者の洗濯をすべてやらされていたと暴露したことがあるが、これではオリンピックで勝てるわけがない。アメリカでは年齢は関係ない。あくまでも実力主義である。

 もうひとつのきがかりは、その非科学的な体質だ。そのおかげで、日本では有為な若者が才能をつみとられている。ヨーロッパの体操界がハイテクを導入して安全に気をつけながら練習をしている一方で、日本では「根性」を旗印に、危険覚悟の練習でけがをさせていたことは有名である。その間、日本はオリンピックで負け続けた。

 「うさぎ跳び」や「亀」と呼ばれる拷問まがいの練習で腰を痛め、前途を絶たれた野球選手やサッカー選手も過去には大勢いた。一流選手でも後遺症に悩んでいるものも多い。

 アメリカに渡った日本のプロゴルファーが、平気でたばこを吸っているのを見ると情けなくなる。あれでは、勝てるわけがない。そう言えば、拷問死した17歳の足には、たばこの火をつけられた痕がいくつもあったという。

2007年9月28日金曜日

バラマキに期待?

福田新政権の支持率が60%に達する勢いである。政党別支持率でも自民党が民主党を上回った。いわく、重厚な陣容で期待感があるという。ところが、本音は旧い自民党の顔ぶれがそろったので、かつてのバラマキに期待しているというのだ。情けない話である。
前にも書いたが、バラマキ政策のツケで、いまや国民ひとりあたりの借金は、国と地方をあわせると、1500万円である。四人家族では6000万円にもなる。こんな大金を誰が返せるのだろうか。しかも、借金のための利子を払うだけで新しい借金となる国債をどんどん発行している。
こんな異常な状態が長続きするわけがない。いずれ破綻がやってくる。いくらバラマキを期待しても、無い袖は振れないのである。A man cannot give what he hasn’t got..

2007年9月27日木曜日

科学技術振興機構

 天下り規制法案を通した渡辺行革大臣は、福田内閣では真っ先にクビかと思っていたが、なぜか留任となった。それはよかったと思っていたら、驚く記事が新聞に載った。
「不必要な独立行政法人はどんどんリストラする。廃止予定は2法人」
それはいいことである。しかし、驚いたことに、廃止予定の法人のひとつに科学技術振興機構が入っているのだ。この法人は、研究開発関連の予算を大学などに補助している組織である。他にも同様な組織があるからという理由からかもしれないが、いやしくも科学技術創造立国を標榜しているのだ。そう簡単に廃止してよいのだろうか。
この組織は、文部科学省所管であるが、実は、天下りの理事は、ほとんどが旧科技庁出身者である。うがった見方をすれば、文部科学省が自分達のテリトリーではないと見限ったともいえる。もっと、無駄な法人は山ほどあると思うのだが。

2007年9月22日土曜日

1円の領収書

現在、国会では政治収支報告書に添付する領収書の額を何円以上にするかで議論している。このような議論そのものが驚きである。しかも、添付する領収書はコピーでよいというのだからあいた口がふさがらない。
領収書は原本を、しかも予算などに計上するならば必ず領収書添付というのが一般常識である。確定申告で5万円以下の領収書は不必要となったら、国の税金収入はいっきに半減するだろう。いや、もっとひどい状態になるかもしれない。
自民党の政治家は
「誰が1円の領収書なんかを発行してくれますか」
と開き直っているが、その程度の金なら自腹をきるというのが一般常識である。
「冠婚葬祭の金がばかにならない」
という発言など論外であろう。
5万円以下の領収書は不要などという常識外のことを、まともな顔で議論するから国民はしらけているのである。
しかし驚いたのはIという政治評論家までが
「1円の領収書なんて現実にはありえないことを議論しているから民主党はだめなんだ」と発言していたことだ。評論家のレベルまで低い。何をか言わんやである。

2007年9月20日木曜日

人間いたるところ青山あり

最初の人間は「じんかん」と読む。しかし、最近では「にんげん」と呼ぶことの方が一般的なようだ。青山(せいざん)とは、骨を埋めるところという意味である。「世界は広い。自分の生まれ育った狭い世界だけがすべてではない」と解釈してもよいだろう。もちろん、別の解釈もある。

こんな漢詩の一節を出してきたのにはわけがある。博士問題である。最近では、毎年15000人の新卒の博士が誕生している。その中で、定職につけるのは20%程度に過ぎない。残りは、ポスドクと呼ばれる非常勤の職員など不安定な職につくしかない。さらに無職が8%あり、その他に行方不明者が8%ある。この中には、自殺者も多数含まれているという。

本来は社会のエリートであるはずの博士が、日本では活かされていないのだ。もちろん、制度上の問題もある。博士号を持っていない教授が日本にはあふれている。さらに、日本には人格破綻者としか思われない教授がたくさんいる。彼らは、どんなに怠けていても定年まで職を失われることはない。 このため、大学の職をめざしても、博士にチャンスはなかなかめぐってこないのである。

残念なことに、誰もこの状況を変えることはできない。もちろん、変えようと思っている人は大学にもたくさんいるし、文科省の中にもいる。ただし、多勢に無勢である。急に好転することはない。とすれば、博士が自分の考えを変えるしかない。

いろいろな分野にチャレンジする。この気概が必要である。

2007年9月17日月曜日

海外サギ2

海外サギのパターンはいろいろあるが、お涙頂戴の内容で、だまされるケースもある。
「わたしは、南米の○○という国の大金持ちである。資産は一兆円をくだらない。いままでの自分の人生は、金儲けだけのために費やしてきた。そのために、麻薬取引きなどに手をだしたこともある。
 しかし、つい最近、自分の余命が半年であることを知った。自分の体はがんにおかされており、助かる見込みはない。この時になって、はじめて自分の業の深さに気づかされた。金儲けのために、どれだけひどいことをやってきたか。そして思った。自分の資産は、困ったひとたちのために役立ててもらおうと。
 ところが、自分が、資産を全部慈善事業に寄付すると言い出したら、親戚がこぞって反対しだした。彼らは、なんとも欲深い人間である。このまま、自分が死んでしまえば、すべての金は彼らに持っていかれるだろう。
 そこで、あなたにお願いがある。私の資産を、あなたの銀行口座に振り込ませてもらえないだろうか。そして、○十字に寄付してほしい。もちろん、あなたには相応の手数料を支払う」

そして、もらえる手数料の額はばかにならない。これでだまされる。情に訴えている分始末が悪い。自分が善行に協力しているのだ。こんな言い訳を自分にできる。

考えて欲しい。世の中、苦労せずに簡単に金儲けをする方法などないのだ。もちろん思わぬ収入を得る人もいる。しかし、その多くのひとは不幸になっているという。

2007年9月16日日曜日

海外のサギ1

 インターネットや電子メールの進展には、目をみはるものがある。一昔前であれば、海外に出かけていかなければもらえなかった情報が瞬時にして手に入る。そのかわり、原稿の締め切りをごまかせなくなったという弊害もある。「とっくに出したんだが、郵便事情が悪くて、原稿が届いていないようだ」などという言い訳はもはや通用しない。

 ところで電子メールの発達で、多くの日本人がさぎにあっているのも事実だ。だまされるほうが、どうかしているというものが多いが、人間の心理をついた功名なものもある。いくつか紹介しよう。

 まず、買ってもいない宝くじに当選したというあきらかに怪しげなものがある。いきなり、仰々しく“CONGRATULATIONS!!!”とあり、内容をみると「あなたは1000万円のくじに当選した」と書いてある。くじを買ってもないのに不思議に思っていると、これは世界で登録されているメールアドレスをもとに、その会社が勝手に当選者を選んだというのだ。

 その理由についてはいろいろ書かれているが、たとえば、「新しくインターネットで宝くじを購入する会社を立ち上げたので、その広報のために、記念イベントとして世界を相手に無料の宝くじを行っている」などと説明が書いてある。いかにもあやしげだが、どうやら、こんなみえみえの詐欺にひっかかる日本人が多いらしい。

 「2週間以内に返信しないと、あなたの当選権は失われる」などと書かれていると、ついつい返信してしまう。そして、「金を振り込みたいので教えてほしい」などと言われて、相手のいうがままに自分の銀行口座などの情報を与えてしまう。気づくと、身ぐるみはがされてしまっているという寸法である。

 もっと長文の詐欺メールもある。だいだい、差出人の国は政情不安なアフリカや南米の国である。
「わたしは、いま政情が不安定なアフリカの○○という国にいる。事業で大変な大金持ちとなったが、国の指導者が変わると、資産を凍結されてしまう虞れがある。そこで、日本の銀行を通して、資産を安心して預けられる国に送金したい」

 そして、本人の資産として100億円などという途方もない金額が書かれている。ものすごい金額であるが、海外には、この程度の金を持っている人間は結構いるだろう。そしてメールは続く。
「そのために、信頼できるあなたの銀行口座を中継口座として利用させていただきたい。謝礼として送金総額の3%を支払う」
というものである。「信頼できる」という情報をどうやって入手したかは疑問が残るが、いろいろな人名録などをもとにメールを送っているようなので、受け取った人間は、少し優越感を覚えるかもしれない。
 「送金総額の3%?」これは、少ないように感じるが、金額にすればなんと3億円である。ただ、口座を一瞬貸すだけで、これだけの金が入るのだ。こんなおいしい話はない。

 ただし、ほとんどのひとは「そんなうまい話があるわけがない」と思って詐欺のにおいをかぎつける。しかし、なかには「口座を貸すだけなら自分は損しないだろう」と思ってしまう人も居る。そして、自分の口座番号を教えてしまい、そのすべてを引き出されてしまうのである。
もちろん「新しい口座を開けばいいだろう」と考えて、現金のほとんど入っていない口座をつくるひともいる。これならば被害にあわないというわけである。賢い方法と褒めてあげたいが、先方も一筋縄ではいかない。海千山千の詐欺師である。
いろいろとやり取りがあったあと、いざ振り込むという段になる。
「いまから100億円の金を振り込む」という連絡がくる。金はいったん、日本の口座に入ったあと、3%の金だけ残して、残りは自動的に海外に送金されるという。むろん依存はない。当然、その手続きも承諾もすることになる。
しかし、いくら待っても送金がない。「どうしたんだろう」といらいらして待っていると、口座の残高が少なすぎて送金を拒否されたという連絡がくる。「少なくとも300万円の残高がないと送れない。至急、口座に金を入れて欲しい」という依頼だ。
ここで、踏みとどまれば、詐欺にはあわないのであるが、緊急である。自分の口座から金を下ろして、あわてて振り込む。これで「3億円が自分のものになる」という期待で胸を膨らまして。
 しかし、それ以降はなぜか連絡が途絶えてしまう。不思議に思って、翌日、銀行口座を確認しにいくと、空になっている。見事300万円は消えている。銀行に文句をいっても始まらない。何しろ、海外送金を承諾しているのだ。
 この手の詐欺のパターンは同じである。何とか、口座番号を聞き出すことと、そして口座に、ある程度の預金をさせておくことである。

2007年9月15日土曜日

天下り

公務員を辞めた後に、関連の団体や企業に再就職し、数年務めただけで大枚の退職金をもらって、つぎの組織に移っていく。ひとによっては数億円の退職金をせしめるものもいる。一般の庶民からはとても許せない(というよりは、うらやましい)所業、これが天下りである。

 これに対し、当事者の官僚たちは、天下りは当然のことと思っているようだ。自分たちは庶民よりもはるかに優秀なのに、安い給料でこきつかわれてきた。キャリアの最後に、ごほうびが待っているのは当然であろう。これが、彼らの主張である。

さらに、おいしい天下りという制度がなくなれば、優秀な人間は誰も官僚にはならないという脅しともとれる言辞を弄する。そういう使命感のない人は官僚になって欲しくないのだが、どうやら国のために働くという感覚は彼らにはないらしい。

天下りに関する問題はいろいろあるが、官僚が天下りのためだけの組織をつくり、そこに税金から巨額の補助金が不必要に流れていることがまず大問題である。中には、常勤がひとりしかいないにも関わらず何億円という補助金をもらい、天下りを十人以上も雇っている公益法人もある。公益という枕詞がむなしく響く。

おそらく不必要な法人をつぶすだけで、国の借金はかなり減るだろう。ある法人(石油関係)に出向した銀行員は驚く場面を目にしたという。そこの金庫には、現金がうなっていて、役所からの出向者が現金の束をつかんで夜の街に流れていくというのである。ある時など、国会議員がやってきて金の無心をしていったという。

 さらに、まともな事業をやっている団体にも天下りが来て、組織の運営を撹乱している。「小人閑居して不善をなす」という俚諺があるが、天下りは、まさにその通りのことをしている。

これは、ある公益法人の話である。新任の常務理事が、突然、昼休みに職場を回りだした。何をするかと思ったら、電気を消してまわって歩くのである。職員が仕事をしていようがお構いなしである。職員は驚いたようだが、このばか常務は得意気だったらしい。

実は、電気料金の節約をとなえているのだ。「国民の大切な税金を補助金として受け取っている組織としては当然のことである」というのが彼の主張であった。しかし、昼休みとはいえ、職員は仕事をしているのである。暇をもてあましている天下り君とは違うのだ。

それに、そんなケチくさいことをするよりも、役立たずの天下りをやめさせた方がはるかに金は浮くし、効率的である。何しろ、年に1500万円以上の給料をさらっていくのだ。しかも、退職金もばかにならない。

 ところで、天下りの退職金が高いのにはからくりがある。普通の民間人は、退職金は就労年数を基準にして退職金を算出する。つまり
退職金 = 最終月の給料 × 就労年数
となるが、天下りの役員は就労月数を基準にする。よって
退職金 = 最終月の給料 × 就労月数
という計算式となる。2年いただけで、普通の従業員が24年間働いたのと同じ額の退職金を手にするのだ。しかも、お手盛りで、最終月の給料を勝手に上げてしまう。昼休みに電気を消して回ったばかなど、退職直前に自分の給料を10万円も増やしたらしい。それだけで退職金は240万円のアップである。
 
実は、この常務に、あまりにも給料が安いので何とかして欲しいと直訴した嘱託の女性がいた。すると天下り君は「辞めたければ辞めてくれ。あなたのかわりはいくらでもいる」と言ったそうだ。かわいそうに、彼女の年収はわずか180万円程度であった。正直のところ、この女性こそが、組織にとっては不可欠の存在であり、天下りの常務など、いくらでもかわりがいる。いや、かわりという言い方には語弊がある。不必要というのが正しい。まあ、それが分かる人間ならば、若くして天下りなどさせられないのだろう。

しかも、この天下り君は「おれの女になってくれれば、給料を上げてやってもいいよ」と言ったらしい。あきれた彼女は、即刻、辞表を出したそうだ。ところが、それを不快に思った常務は、彼女のつぎの職場に電話をかけて「あの女はトラブルメーカーだからクビにしろ」と言ったらしい。世も末である。

 役所から天下ってくる連中は、役所では使いものにならないという烙印を押されたものたちである。だから、人間的にも最低であるし、仕事をさせてもまともにできるものなどいない。それが組織の長としてやってくるのであるから、職員の士気は下がる一方である。
 
 おそらく、天下り制度を廃止したら、国の借金はいっきに減るだろう。しかし、それを強行しようとした総理大臣は失脚させられた。どうやら、多くの国民は天下り制度を是としているようだ。

もうすぐ、国民ひとりあたりの借金は1000万円になる。生まれたばかりの赤ん坊がいきなり大きな借金をかかえているのだ。それが日本である。

注) 実は、地方の借金や、独立行政法人などが抱えている表に出ていない借金をあわせると、すでに国民ひとりあたりの金額は1500万円を超えているという情報もある。

2007年9月14日金曜日

ああ安部さん

ついに安部首相が辞任することとなった。一年前に颯爽と登場し、就任直後は支持率も高かったが、あいつぐ大臣の不正発覚によって、求心力を失った。さらに年金問題も彼の足を引っ張った。残念である。

というのも、彼は、自民党には珍しく、改革を進めようとしていた数少ない政治家だからだ。特に、守旧派の反対で廃案になりかけた「天下り規制法案」を強引に成立させたときには拍手喝采を送った。しかし、これが虎の尾を踏んだのではないかと言われている。

天下りは官僚にとっては決して失ってはならない利権である。そこに安部さんが土足で踏みこんだのだ。このままではまずいという危機感から、役人がこぞって首相退陣を画策したという噂がある。積極的にマスコミに不利な情報を流し、安部たたきを行った。それが今回の辞任につながった。

これが事実とすると、今後誰が首相になっても官僚の天下りを規制する法案など通すことはないであろう。もともと、多くの政治家にとって、官僚の天下りなどどうでもいいことだからだ。自分たちの利権さえ守れるのならば、国の将来などどうなってもよい。それが彼らの本音である。

こんな時こそ、民主党に期待したいが、参院選をみる限り、かつての自民党のばらまき政策を掲げて平気な顔をしている。情けない。国民がばかといえば、それまでだが、これでは国の借金を減らすどころか、どんどん増えていくばかりであろう。

さらにいえば、年金問題は、安部政権の責任ではない。過去に与党と野党の政治家や年金官僚が、そろって年金にたかってきたというのが真相である。糾弾されるべきは彼らである。

ただし、ひとつの党が、これだけ政権与党についてきたという歴史は他の国にはない。官僚や政治家の利権を一掃するためにも、政権交代はぜひ必要である。安部さんの退陣を機に政権交代が起これば一興かもしれない。

実は、過去に一度だけそのチャンスがあった。わずかの間だが自民党が野に下ったこともある。その時は、小沢さんの強引なやり方が裏目に出て、社会党が自民党と連立を組むという暴挙に出た。そして、自民党はみごと与党に復帰したのである。一方、社会党は、党から首相を出すという歴史的な快挙(?)を達成したが、直後に壊滅した。あの時、自民党が与党に復帰しなければ、今の日本はどうなっていただろうか。

それにしても、いつも思うのは、国民もマスコミも物事の表層しか見ていないということである。マスコミの場合には、確信犯であえて真相を韜晦しているところはある。国民は、それに気づかないといけないはずなのに、結局だまされる。

いちばんの心配は、かつての守旧派が日本の政治を再び席巻することだ。案外、国民もマスコミもそれを願っているのかもしれない。しかし、それでは、日本の将来は暗い。そして、そのツケを払わされるのは、子供たちである。

2007年9月10日月曜日

正規分布ふたたび

正規分布の話をブログに書いたら、「本当にそうならば、世の中あまりにも希望がないのでは」と言われた。少し反省している。何も世の中をあきらめろというつもりで書いたわけではない。事実を事実として認識すべきと言いたかっただけである。そうすれば、変な失敗をすることもない。

言いたいことは、ある職業についている人の20%はすぐれているが、それ以外のひとは、その仕事に向いていないということである。ただし、それでも、残り60%のひとは、それなりに頑張っている。本当にだめなのは20%しかいない。そう考えたらどうだろう。どうしようもないのは五人にひとり。まわりを見渡せば、納得いくだろう。

世間から蛇蝎のごとく嫌われている社保庁にもあてはまる。全員がダメ人間ではない。中には、立派なひともいたはずなのだ。「このままではだめだ。がんばろう」と努力した人もいたに違いない。しかし、悪貨は良貨を駆逐する。これも世のならいである。

正規分布の話は、政治家にもあてはまる。ただし、日本の政治家の場合、正規分布とは言っても、もともとのレベルが低すぎるという指摘もある。しようがない。選ばれてくる人間の基準は、いかに利益を自分たちにもたらしてくれるかである。選ぶ方にも責任がある。そのために、国民ひとりあたりの借金が一千万円を越えようと知ったことではない。

重要なことは、ひとの能力が正規分布しているという認識を持っていれば、他人に対して過剰の期待を持たずに済むということである。「きっと、みんなも分かってくれるはずだ」という甘い考えは世間では通用しないことも分かるはずだ。

ただし、ある能力が劣っているからといって、その人間がすべてダメという訳ではないことも言っておく必要があろう。ひとには、向き不向きがある。もっと自分にふさわしい仕事があるかもしれないのだ。そういう意味では、天職を見つけられたひとは幸運だったということであろう。

ところで、統計的には、ひとは自分に対する評価をかなり良い方にシフトしているそうだ。だから、自己分析には注意が必要である。自分が思うほど、他人は評価していない。このことを常に肝に銘じておくべきであろう。

ふと思った。自分がついている大学教授という職は天職なのであろうか。うなずこうとして反省した。自己評価を信じてはいけない。

事実は小説より...

アカデミックハザードの読者から、小説は面白く読ませてもらったが、現実はそんなに甘くないのではという意見を頂戴した。

 被害者が全員アメリカに逃れて、最後はハッピーエンドになるというストーリーは、あまりにも安易すぎるというのである。現実の世界では、白井のような人間がのさばり、加治や長井はアカデミアから追放されてしまう。そんな現実をたくさん見てきたと読者はいう。

 同感である。しかし、それでは、あまりにも切ないのではなかろうか。せめて小説の中ぐらいは、ハッピーエンドで終わりたい。これが本音である。

 それと、アメリカがそんなによいのかという意見もあった。確かに、アメリカにもアカデミックハザードはあるし、人種差別も厳然としてある。よって、アメリカの大学が天国というわけではけっしてない。

 ただし、日本と比較すれば、アメリカの大学の方が数段上であることは確かである。これは、アメリカの大学がすでに国際社会に開放されているということが背景にある。

 最近、優秀な高校生が日本の大学を選ばずに、アメリカやヨーロッパの大学に直接進学するケースが増えている。現状を知っているということだろう。

2007年9月7日金曜日

正規分布

 統計学によれば、標本数が30個以上あれば、その分布は正規分布と呼ばれる分布に従うことが知られている。

 正規分布というのは、もともとは誤差の分布のことである。例えば、30人のクラスの生徒に、10cmの長さに紙を切りなさいと命じる。すると、ぴったり10cmというひとは少なく、長かったり、短かったりする。この時、10cmからの誤差をグラフにすると、誤差0cmを中心にして、つり鐘型の分布となる。これが、ごく当たり前の分布ということで英語ではnormal distributionと呼ぶ。normalつまり、ごく普通の分布という訳である。日本語では、normalという英語を仰々しく「正規」と訳してしまった。

 この分布は、いろいろなものに当てはまる。例えば、医者の技量の分布である。30人以上医者がいれば、この分布になる。簡単のために100人としよう。すると、いわゆる可もなく不可もなくというところが60人程度いる。一方、優れた名医と呼ばれるひとは5人くらいしかいない。同様に、どうしようもないひどい医者も5人いることになる。のこりの30人のうち、15人はどちらかというと医者として相応しいひと、15人は相応しくないひとということになる。

 運悪くひどい医者にあたったひとには気の毒というほかない。しかし、医者の場合はなんとかなる。なにしろ、人間の病気に対する自然治癒能力は85%以上とされている。つまり、何も処方しなければ、病気は治るのである。風邪の患者に栄養剤でも注射しておけば、医者の誤診もないし、患者もハッピーである。

 しかし、こううまくいかない世界もある。例えば大学だ。放って置けば学生が勝手に勉強するということにはならない。(昔の大学はそうであったが)。大学教授の場合も、100人いれば、5人は教授として立派なひとということになる。つぎの15人をあわせると、合格点があげられるのは20人程度しかいない。残りの80人は、できれば自分のゼミの指導教員にはなって欲しくないひとということになる。世の中は、運の悪い学生であふれているのだ。

 さらに具合が悪いことに、大学の方針は教授会が決めることになっている。多数決の原理からいえば、大学教授としてふさわしくない人間が方針を決定することになる。けだし、よい方向に大学改革が進むはずがないのである。

2007年9月5日水曜日

立って半畳寝て一畳

 この言葉は物欲の限界を示した言葉として印象に残っている。どんなに贅沢な暮らしをしていても、所詮、人間が生活するのに必要なスペースは、立って畳半分、寝ても、畳一枚分しかないという意味である。

 広さが1万坪を越す豪邸に住んでいようが、自分が占めることのできる面積は、たかだか、畳一枚程度である。世の中での成功を、いかに財を成し、地位を高めるかと考えているひとも多いが、ひとりの人間が抱え込める財産などたかが知れているのである。

 実は、この言葉の後に「天下とっても二合半」という語が続く。自分が天下を支配したとしても、一食で食べられるごはんの量はせいぜい二合半であるということを言っている。人が生活するためには、それで十分なのである。下手に贅沢な食事をすれば、健康を害して寿命を縮めるだけである。

 ただし、私は、さらに、この後に次の言葉をつけている。それは「頭の中は無限大」という言葉である。確かに、財産は物でしかないとみなせば限界はある。しかし、財産はけっして物だけではない。人間の中に蓄えられる知恵と知識、それこそが最も大切なものであり、しかも、その大きさは無限大である。

 つまり、人間、物事を学ぶということに対しては、無限大の包容力を持っているのである。そして、知識を蓄えるということによって、より豊かな人生が開けるものなのである。