2007年12月28日金曜日

ニセ学位

 文部科学省の調査によると、金で博士号を売る、いわゆるディグリーミルと呼ばれる機関から学位を取得していた教員の数が48名に上ることが明らかになった。

 もともと大学教授になるために明確な資格も免許もいらない。「博士あるいはそうと同等の能力があるもの」という条項があるが「同等の能力」とは何かが書かれていないのである。この結果、見識も知識もない人間が大学教授に採用されている。

 博士号を苦労して取得した人たちが就職先に困っているということが社会問題になっている一方で、学位を持っていない人間がやまのように大学教授の職を得ている。明らかに矛盾であろう。

 大学教授になる基準に「博士号を有する」という一文をいれればよいのであろうが、大学を格好の天下り先にしている官僚や政治家にとっては、都合の悪いことであるから、今後もいまの状態が続くのであろう。

 とは言っても、博士号がないのに教員になるということに居心地の悪さを感じているものも多いようだ。そこで登場するのがディグリーミルである。金だけで学位を買えるとあれば、ついつい手を出したくなる。

 ただし、このようなニセ学位を問題にするならば、博士号を持たない教授が何人いるかも公表すべきであろう。それこそが問題である。同じ紙面に、官僚が大学教授になるということが、臆面もなく報道されている。

2007年12月16日日曜日

今年の漢字「偽」

 今年の漢字は「偽」に決まった。日本漢字能力検定協会が、その年の世相を表す漢字一字を公募で集め、一番票を集めたものを「漢字の日」の12月12日に発表している。

 偽が選ばれたのは、今年、発覚した食品偽装によるものだろう。第二位が「食」第三位が「嘘」であったことからも明らかである。

 ところで、偽という字は「にんべん」に「為(ため)」と書く。よって、人のために何かをすることが「いつわり」になると、皮肉な解釈しているひとも多い。面白い解釈ではあるが、これは正しくはない。それに、食品偽装は「ひとのため」ではなく「自分のため」あるいは「経営者のため」に行われたものである。
 
 「為」は「為す(なす)」とも読む。つまり「偽」は「人為」つまり「人が為すこと」という意味である。実は、「為」は、もともとは象使いが象を手なづける(手+象)の会意文字である。そのことから。「偽」は「ひとが手を加えて本来の性質や姿を変える」という意味になったという。これが「偽(いつわり)」の字源である。

 ところで、「偽」が今年の漢字に選ばれたが、忘れてならないのは、今年発覚した偽装は何十年も前から延々と続けられてきたという事実である。食品だけではない。耐震偽装や年金問題、薬害肝炎、防衛庁スキャンダルなどの官庁の不祥事もすべてそうである。

 あえていえば、ここ何十年の日本社会の世相を漢字一字であらわせば「偽」となるということであろう。

2007年12月15日土曜日

薬害肝炎

 世の中には分からないことが多い。今回、強くそう感じたのは薬害肝炎患者に対する国の対応である。誰が見ても明らかである。国に責任があるのであるから、その責任を負いなさい。そう言いたい。

 フィブリノゲン製剤は、人の血液の成分を原料とした医薬品の一種で、大量出血時の止血等の目的で使われてきた。原料に混入した肝炎ウイルスを不活性化するための技術が不十分であったため、多くのひとがC型肝炎に感染した。

 これだけ被害が広がったのは、厚生労働省と、そこから天下りした人間の会社の隠蔽行為が招いた不幸である。海外では、とっくに問題が指摘されていたのに、放置したのだ。明らかに、自分たちの保身だけがすべてで、一般市民など死んでも構わないという発想である。薬害エイズ問題とよく似ている。

 今回の救済の問題点は、救済する範囲を限定しようとするものである。裁判所もそれに賛成している。

 情けないのは舛添大臣である。発言がきわめてあいまいだ。しかし、その理由がなんとなくわかった。全部認めたら、厚労省の予算が吹っ飛ぶかもしれないのだ。なにしろ約29万人に投与されているのだ。感染者は1万人程度とされているが、今後も増える可能性がある。

 治療にはインターフェロン投与が有効であるが、費用が高い。2週間で20万円。一万人でも20億円である。もちろん、これで治療は終わらない。今後、患者が増えれば、とてつもない額になる。国が必死になってごまかそうとしているのが分かる。

2007年12月14日金曜日

厚生労働大臣

 最近は少し応援したくなった。舛添厚労大臣である。ただし、政治家になる前から、その発言はめちゃくちゃだった。論理性や一貫性がまったくない。しかも根拠がないにも関らず相手を攻撃する。

 こんな人間とは一緒に仕事はしたくない。彼はその典型であろう。しかし、思った。頑迷固陋な役所に風穴をあけてくれるのではないか。毒をもって毒を制す。

 案の定、大臣になったとたんに迷走発言を繰り返してくれた。「役人を牢屋に入れる」「年金は最後のひとりまで明らかにする」もちろん、そんなことは不可能である。とはいっても、こんな閉塞状態では、ちょっとした刺激になるのではないか。そう期待した。

 しかし、期待ははずれた。年金もだめ。薬害肝炎訴訟もだめ。役人のいいなりである。とは言っても、すべてが悪いわけではない。内閣の中で、唯一行革大臣に協力姿勢を見せている。それは評価できる。首相の福田さんをはじめ、他の大臣はすべて改革には否定的であるから、特筆すべき存在であろう。パフォーマンスと言えなくもないが、そこだけは評価したい。

 ここで思う。もう彼には、政治家としての将来はないのであるから、マスコミを利用して世のひとのために行動したらどうなのか。年金の問題にしても、非協力的な役人と徹底的に戦う。薬害問題に対しても、役所の責任を厳しく追及する。そして早く結論を出す。

 それができないのは野心があるのだろうか。

2007年12月13日木曜日

独立行政法人改革

 実に簡単である。役人の天下りを全面禁止する。出向も禁止する。そうなれば、役所にとって何のメリットのない組織となる。これ以上、これ以下のコメントはない。

ああ巨人

 どうして日本のプロ野球は面白くなくなったのだろうか。いい選手が大リーグに流れてしまう。それも一因かもしれないが、その大きな原因をつくっているのは読売巨人ではないだろうか。

 この球団勝つためには手段を選ばない。他の球団の四番打者やエースを札束で引っこ抜く。メンバー表にはきら星のごとき選手が並ぶ。ところが、それでもペナントレースでは勝てない。結局、うまく使いこなせずに、廃人にしたうえで放り出す。

 それでも懲りないらしい。今年のオフはすごい。ラミレス、クルーン、クライシンガー。他球団の主砲、おさえのエース、そしてセリーグの最多勝投手を獲得した。いったいなにをするつもりなのだろうか。福留にも触手を伸ばしていたのだから何をかいわんやだ。

 福留獲得をあきらめた理由が、大リーグと競うと年俸が高騰し、日本球界に悪影響を与えるからだという。いままで、悪影響を与えてきたのは、どこの球団だといいたい。

 野球をみていて思うのは、チームプレイということだ。ホームランバッターをいくらそろえても試合には勝てない。打撃はいいが、守備の下手な外野手をいれたとたん、投手が打たれだしたという過去もある。「あそこに打たせるとあぶない」と投手は不安になる。ついつい投球の幅が狭くなり、思うようなピッチングができなくなる。

 巨人をみていると、金持ちのばか息子に、親が言うがままにおもちゃを買い与えたら、ろくに使わずにゴミ箱いき。そんな状況が目に浮かぶ。

2007年12月9日日曜日

四面楚歌

 渡辺行革大臣が孤立しているという。独立行政法人改革のことである。もともとこれら法人は、特殊法人と呼ばれて役人の格好の天下り先となっていた。しかも、退職した後の就職先だけではない。出向先としてもおいしい場所なのだ。

 例えば、本庁でポストのない人間でも特殊法人に出向すれば役付きになる。そして、いっきに手取りが増える。交際費なども使えるようになる。当然、奥さんは大喜びである。このように天下りだけでないメリットもある。出向させられるのは、亜流の人達であるから、その不満の捌け口としても格好の場であるのだ。

 「所管の特殊法人をつぶしますか」と聞かれて、素直につぶしますと応える役所などないだろう。解決策として、特殊法人がかかえている累積赤字を役所の予算から減らすという手も考えられる。こうすれば、あわてて特殊法人をつぶすことに賛成するだろう。

 しかし、これにも反論が出る。金儲けができないが、国民にとって重要な仕事もある。その役目を独立行政法人が担っているのだと。だけど、改革に反対している大臣の顔を見てほしい。みな卑しい顔をしている。

 国の借金はどんどん増えている。すでに国民ひとりあたりの借金は1500万円だ。どうやって返すのだろう。一家四人の家族では6000万円に達する。にもかかわらず、独立行政法人へ天下りした役人がファーストクラスの飛行機にのり、海外出張と称する海外旅行にでかけ、一泊7万円もするホテルに宿泊する。

 日本は、国民の貯蓄が1500兆円あるから、国の借金が、この額を超えなければ安泰だという議員や評論家がいる。その考えそのものがおかしいと思うのだが、そんな能天気なことも言っていられない。独立行政法人がかかえる隠れ借金を加えると、すでに、この額を超えているという指摘もある。

2007年12月8日土曜日

関東学院大学ラグビー部

 関東学院大学のラグビー部員による大麻事件は、大学人として非常に残念なことであった。ただし、あえて言わせてもらえば、衝撃というよりも物悲しさを感じるというのが正直なところである。こんなことを言うと不謹慎と思われるかもしれないが事情を説明させてほしい。

 この大学には工学部がある。しかし、その偏差値は50をはるかに下回っており、40に近い。私立大学が生き残る分岐点は偏差値50と言われている。つまり、かなりきびしい状況なのだ。ただし、多くの私立大学の理工系では同じような問題を抱えている。それでも、関東学院大学には希望があった。

 関東学院大学のラグビー部は、当初7人しか部員がいなかった弱小クラブであったが、ほとんど実績のない監督が指導し、日本一まで押し上げた。努力すれば夢はかなう。そんな希望をみんなに与えた。それならば、この大学に入ってみよう。そう思った高校生もあったろう。

 悲しいと言ったのは、そういった努力がすべて今回の事件で無駄になったということだ。若気の至りといえばそれまでだが、その影響はあまりにも大きい。

 かつて7人しかいなかった同部の部員数は200人に及ぶという。日本全国からラグビー好きの高校生が集まってくるらしい。しかし、ひとりの人間が200人全員に目を配るのは不可能である。

 とすれば、監督の責務は、部下を信頼して指導に当たらせるということではなかったのか。なぜか、同部では、後継者と目されていたコーチが相次いで辞めていったという。なにがあったのだろうか。

2007年12月6日木曜日

銃社会アメリカ

 アメリカで、また銃乱射事件が起きた。米中西部ネブラスカ州オマハ市のショッピングモールで12月5日午後2時(日本時間6日午前5時)ごろ、若い男がライフル銃を乱射し、買い物客ら8人が死亡、重体2人を含む計5人が負傷したという。犯人は自殺した。

 事件当時、モール内はクリスマスを控えた買い物客でにぎわっており、突然響いた銃声で現場は大混乱に陥ったという。米国では4月のバージニア工科大事件をはじめ銃乱射事件が続発、一般市民が犠牲になる惨事が繰り返されている。

 犯人は自分が英雄になると言って、この事件を起こしたようだ。そして、最初から自殺することを想定していたようである。死ぬことを覚悟した人間の所業を誰も止めることはできない。誰もが銃を購入できるアメリカでは、このような事件は今後も頻発するであろう。

 もちろん、銃規制を主張するアメリカ人も多い。これだけ惨劇が続いているのであるから当然と思うのであるが、このような意見は封殺される。その元凶が悪名高い全米ライフル協会である。銃はアメリカの文化であるとさえ主張している。

 かつて人格者と呼ばれた上院議員がいた。アメリカでも国会議員には曲者が多い。地元利益誘導型のうえ、自分の懐を肥やすものも多い。ところが、この議員は違っていた。銃規制を訴えたのである。

 危機感をおぼえた全米ライフル協会は、この議員の落選を図った。この議員のありもしないスキャンダルをでっちあげ、途方もない金を使って、マスコミを利用し、アンチキャンペーンをはった。家族への脅迫も行ったという。卑劣というしかない。

 結局、この議員は落選した。これを見たアメリカの議員は二度と銃規制を提案しようとはしない。声に大にしてはいえないが、日本でも同じようなことをしている団体がある。

2007年12月4日火曜日

困ったな

 法務省はテロ対策と称して、11月20日から日本に入国するほぼすべての外国人から指紋採取と顔写真撮影をする制度をはじめた。

 この話を聞いて、30年ほど前にアメリカをはじめて訪れたときのことを思い出した。サンフランシスコ空港に到着すると、入国審査のゲートは長蛇の日本人であふれていた。何時間続くのだろうか。そんな思いにとらわれた。

 当時は、海外旅行をするひとも、それほど多くはなかった時代である。それでも、アメリカに入国するために、何時間も待たされ、あげくに、ようやく順番が来たと思ったら取り調べのような質問ぜめで閉口したことを覚えている。正直ひどい国と思った。

 今回の日本の措置に対して、怒りをあらわにする海外のひとも多い。人種差別と指摘する海外メディアも多い。特に、日本に長く住んでいる外国人には面白くないようだ。

 その気持ちも分からなくはない。しかし、国の治安を守るためには、今回の方法は確かに有効である。法務大臣は、アルカイダの関係者が偽造パスポートで日本に潜入していると言ったが、今回の制度で不法侵入は阻止できる。

 「郷に入らば郷にしたがえ」という俚諺がある。日本の制度と理解してもらうしかないだろう。アメリカの入国では不愉快な思いをしたが、その後、アメリカで暮らすうちに周りのひとたちの親切心や思いやりにふれ、アメリカがすっかり好きになった。入国したあとで、われわれ日本人が海外のひとをケアする。それしかないのかもしれない。

2007年12月2日日曜日

道路と金

 朝、タクシーで駅まで向かったら、いつもの一方通行の道路が工事で通れなかった。タクシーの運転手がなげいていた。「最近やたらと工事が多いんですよ」と。おかげで、朝から渋滞だ。

 理由は、国土交通省である。道路特定財源を絶対に道路以外に渡したくない。ところが、予算が余りそうだ。だから、必要がないにもかかわらず、舗装したばかりの道路を掘りかえてして整備したふりをする。ばかとしか言いようがない。

 ある僻地の漁業関係者の談話が新聞にのっていた。漁港の近くに、高速道路がないため、新鮮な魚を都市部に届けるのに、狭い一般道路を猛スピードを出して車を運転しなければならない。危険このうえないという。

 そして訴える。もし、高速道路を整備してくれたら、(自分たちは)どんなに便利になるだろう。地方には、まだまだ高速道路が必要だということを理解してほしいと。まさに国土交通省の思う壺である。こんな記事をのせる新聞社もどうかしていると思うのだが。

 道路は税金でつくられる。もちろん、道路ができれば便利になるかもしれない。それは否定しない。しかし、その結果、どれだけの費用対効果がえられるのだろうか。ただでさえ、国の借金は、国民ひとりあたり1500万円ある。それを放置したまま、利用者の少ない道路をつくる意味がどれだけあるのだろう。

 そういえば、こんな理屈で、立派な港湾や岸壁が日本中につくられたことがあった。ところが、船など寄港せずに、巨大な釣堀と化しているだけと揶揄された。農道空港という無駄もあった。すべて使われずに放置され、国の借金だけが増えている。