2007年12月28日金曜日

ニセ学位

 文部科学省の調査によると、金で博士号を売る、いわゆるディグリーミルと呼ばれる機関から学位を取得していた教員の数が48名に上ることが明らかになった。

 もともと大学教授になるために明確な資格も免許もいらない。「博士あるいはそうと同等の能力があるもの」という条項があるが「同等の能力」とは何かが書かれていないのである。この結果、見識も知識もない人間が大学教授に採用されている。

 博士号を苦労して取得した人たちが就職先に困っているということが社会問題になっている一方で、学位を持っていない人間がやまのように大学教授の職を得ている。明らかに矛盾であろう。

 大学教授になる基準に「博士号を有する」という一文をいれればよいのであろうが、大学を格好の天下り先にしている官僚や政治家にとっては、都合の悪いことであるから、今後もいまの状態が続くのであろう。

 とは言っても、博士号がないのに教員になるということに居心地の悪さを感じているものも多いようだ。そこで登場するのがディグリーミルである。金だけで学位を買えるとあれば、ついつい手を出したくなる。

 ただし、このようなニセ学位を問題にするならば、博士号を持たない教授が何人いるかも公表すべきであろう。それこそが問題である。同じ紙面に、官僚が大学教授になるということが、臆面もなく報道されている。

2007年12月16日日曜日

今年の漢字「偽」

 今年の漢字は「偽」に決まった。日本漢字能力検定協会が、その年の世相を表す漢字一字を公募で集め、一番票を集めたものを「漢字の日」の12月12日に発表している。

 偽が選ばれたのは、今年、発覚した食品偽装によるものだろう。第二位が「食」第三位が「嘘」であったことからも明らかである。

 ところで、偽という字は「にんべん」に「為(ため)」と書く。よって、人のために何かをすることが「いつわり」になると、皮肉な解釈しているひとも多い。面白い解釈ではあるが、これは正しくはない。それに、食品偽装は「ひとのため」ではなく「自分のため」あるいは「経営者のため」に行われたものである。
 
 「為」は「為す(なす)」とも読む。つまり「偽」は「人為」つまり「人が為すこと」という意味である。実は、「為」は、もともとは象使いが象を手なづける(手+象)の会意文字である。そのことから。「偽」は「ひとが手を加えて本来の性質や姿を変える」という意味になったという。これが「偽(いつわり)」の字源である。

 ところで、「偽」が今年の漢字に選ばれたが、忘れてならないのは、今年発覚した偽装は何十年も前から延々と続けられてきたという事実である。食品だけではない。耐震偽装や年金問題、薬害肝炎、防衛庁スキャンダルなどの官庁の不祥事もすべてそうである。

 あえていえば、ここ何十年の日本社会の世相を漢字一字であらわせば「偽」となるということであろう。

2007年12月15日土曜日

薬害肝炎

 世の中には分からないことが多い。今回、強くそう感じたのは薬害肝炎患者に対する国の対応である。誰が見ても明らかである。国に責任があるのであるから、その責任を負いなさい。そう言いたい。

 フィブリノゲン製剤は、人の血液の成分を原料とした医薬品の一種で、大量出血時の止血等の目的で使われてきた。原料に混入した肝炎ウイルスを不活性化するための技術が不十分であったため、多くのひとがC型肝炎に感染した。

 これだけ被害が広がったのは、厚生労働省と、そこから天下りした人間の会社の隠蔽行為が招いた不幸である。海外では、とっくに問題が指摘されていたのに、放置したのだ。明らかに、自分たちの保身だけがすべてで、一般市民など死んでも構わないという発想である。薬害エイズ問題とよく似ている。

 今回の救済の問題点は、救済する範囲を限定しようとするものである。裁判所もそれに賛成している。

 情けないのは舛添大臣である。発言がきわめてあいまいだ。しかし、その理由がなんとなくわかった。全部認めたら、厚労省の予算が吹っ飛ぶかもしれないのだ。なにしろ約29万人に投与されているのだ。感染者は1万人程度とされているが、今後も増える可能性がある。

 治療にはインターフェロン投与が有効であるが、費用が高い。2週間で20万円。一万人でも20億円である。もちろん、これで治療は終わらない。今後、患者が増えれば、とてつもない額になる。国が必死になってごまかそうとしているのが分かる。

2007年12月14日金曜日

厚生労働大臣

 最近は少し応援したくなった。舛添厚労大臣である。ただし、政治家になる前から、その発言はめちゃくちゃだった。論理性や一貫性がまったくない。しかも根拠がないにも関らず相手を攻撃する。

 こんな人間とは一緒に仕事はしたくない。彼はその典型であろう。しかし、思った。頑迷固陋な役所に風穴をあけてくれるのではないか。毒をもって毒を制す。

 案の定、大臣になったとたんに迷走発言を繰り返してくれた。「役人を牢屋に入れる」「年金は最後のひとりまで明らかにする」もちろん、そんなことは不可能である。とはいっても、こんな閉塞状態では、ちょっとした刺激になるのではないか。そう期待した。

 しかし、期待ははずれた。年金もだめ。薬害肝炎訴訟もだめ。役人のいいなりである。とは言っても、すべてが悪いわけではない。内閣の中で、唯一行革大臣に協力姿勢を見せている。それは評価できる。首相の福田さんをはじめ、他の大臣はすべて改革には否定的であるから、特筆すべき存在であろう。パフォーマンスと言えなくもないが、そこだけは評価したい。

 ここで思う。もう彼には、政治家としての将来はないのであるから、マスコミを利用して世のひとのために行動したらどうなのか。年金の問題にしても、非協力的な役人と徹底的に戦う。薬害問題に対しても、役所の責任を厳しく追及する。そして早く結論を出す。

 それができないのは野心があるのだろうか。

2007年12月13日木曜日

独立行政法人改革

 実に簡単である。役人の天下りを全面禁止する。出向も禁止する。そうなれば、役所にとって何のメリットのない組織となる。これ以上、これ以下のコメントはない。

ああ巨人

 どうして日本のプロ野球は面白くなくなったのだろうか。いい選手が大リーグに流れてしまう。それも一因かもしれないが、その大きな原因をつくっているのは読売巨人ではないだろうか。

 この球団勝つためには手段を選ばない。他の球団の四番打者やエースを札束で引っこ抜く。メンバー表にはきら星のごとき選手が並ぶ。ところが、それでもペナントレースでは勝てない。結局、うまく使いこなせずに、廃人にしたうえで放り出す。

 それでも懲りないらしい。今年のオフはすごい。ラミレス、クルーン、クライシンガー。他球団の主砲、おさえのエース、そしてセリーグの最多勝投手を獲得した。いったいなにをするつもりなのだろうか。福留にも触手を伸ばしていたのだから何をかいわんやだ。

 福留獲得をあきらめた理由が、大リーグと競うと年俸が高騰し、日本球界に悪影響を与えるからだという。いままで、悪影響を与えてきたのは、どこの球団だといいたい。

 野球をみていて思うのは、チームプレイということだ。ホームランバッターをいくらそろえても試合には勝てない。打撃はいいが、守備の下手な外野手をいれたとたん、投手が打たれだしたという過去もある。「あそこに打たせるとあぶない」と投手は不安になる。ついつい投球の幅が狭くなり、思うようなピッチングができなくなる。

 巨人をみていると、金持ちのばか息子に、親が言うがままにおもちゃを買い与えたら、ろくに使わずにゴミ箱いき。そんな状況が目に浮かぶ。

2007年12月9日日曜日

四面楚歌

 渡辺行革大臣が孤立しているという。独立行政法人改革のことである。もともとこれら法人は、特殊法人と呼ばれて役人の格好の天下り先となっていた。しかも、退職した後の就職先だけではない。出向先としてもおいしい場所なのだ。

 例えば、本庁でポストのない人間でも特殊法人に出向すれば役付きになる。そして、いっきに手取りが増える。交際費なども使えるようになる。当然、奥さんは大喜びである。このように天下りだけでないメリットもある。出向させられるのは、亜流の人達であるから、その不満の捌け口としても格好の場であるのだ。

 「所管の特殊法人をつぶしますか」と聞かれて、素直につぶしますと応える役所などないだろう。解決策として、特殊法人がかかえている累積赤字を役所の予算から減らすという手も考えられる。こうすれば、あわてて特殊法人をつぶすことに賛成するだろう。

 しかし、これにも反論が出る。金儲けができないが、国民にとって重要な仕事もある。その役目を独立行政法人が担っているのだと。だけど、改革に反対している大臣の顔を見てほしい。みな卑しい顔をしている。

 国の借金はどんどん増えている。すでに国民ひとりあたりの借金は1500万円だ。どうやって返すのだろう。一家四人の家族では6000万円に達する。にもかかわらず、独立行政法人へ天下りした役人がファーストクラスの飛行機にのり、海外出張と称する海外旅行にでかけ、一泊7万円もするホテルに宿泊する。

 日本は、国民の貯蓄が1500兆円あるから、国の借金が、この額を超えなければ安泰だという議員や評論家がいる。その考えそのものがおかしいと思うのだが、そんな能天気なことも言っていられない。独立行政法人がかかえる隠れ借金を加えると、すでに、この額を超えているという指摘もある。

2007年12月8日土曜日

関東学院大学ラグビー部

 関東学院大学のラグビー部員による大麻事件は、大学人として非常に残念なことであった。ただし、あえて言わせてもらえば、衝撃というよりも物悲しさを感じるというのが正直なところである。こんなことを言うと不謹慎と思われるかもしれないが事情を説明させてほしい。

 この大学には工学部がある。しかし、その偏差値は50をはるかに下回っており、40に近い。私立大学が生き残る分岐点は偏差値50と言われている。つまり、かなりきびしい状況なのだ。ただし、多くの私立大学の理工系では同じような問題を抱えている。それでも、関東学院大学には希望があった。

 関東学院大学のラグビー部は、当初7人しか部員がいなかった弱小クラブであったが、ほとんど実績のない監督が指導し、日本一まで押し上げた。努力すれば夢はかなう。そんな希望をみんなに与えた。それならば、この大学に入ってみよう。そう思った高校生もあったろう。

 悲しいと言ったのは、そういった努力がすべて今回の事件で無駄になったということだ。若気の至りといえばそれまでだが、その影響はあまりにも大きい。

 かつて7人しかいなかった同部の部員数は200人に及ぶという。日本全国からラグビー好きの高校生が集まってくるらしい。しかし、ひとりの人間が200人全員に目を配るのは不可能である。

 とすれば、監督の責務は、部下を信頼して指導に当たらせるということではなかったのか。なぜか、同部では、後継者と目されていたコーチが相次いで辞めていったという。なにがあったのだろうか。

2007年12月6日木曜日

銃社会アメリカ

 アメリカで、また銃乱射事件が起きた。米中西部ネブラスカ州オマハ市のショッピングモールで12月5日午後2時(日本時間6日午前5時)ごろ、若い男がライフル銃を乱射し、買い物客ら8人が死亡、重体2人を含む計5人が負傷したという。犯人は自殺した。

 事件当時、モール内はクリスマスを控えた買い物客でにぎわっており、突然響いた銃声で現場は大混乱に陥ったという。米国では4月のバージニア工科大事件をはじめ銃乱射事件が続発、一般市民が犠牲になる惨事が繰り返されている。

 犯人は自分が英雄になると言って、この事件を起こしたようだ。そして、最初から自殺することを想定していたようである。死ぬことを覚悟した人間の所業を誰も止めることはできない。誰もが銃を購入できるアメリカでは、このような事件は今後も頻発するであろう。

 もちろん、銃規制を主張するアメリカ人も多い。これだけ惨劇が続いているのであるから当然と思うのであるが、このような意見は封殺される。その元凶が悪名高い全米ライフル協会である。銃はアメリカの文化であるとさえ主張している。

 かつて人格者と呼ばれた上院議員がいた。アメリカでも国会議員には曲者が多い。地元利益誘導型のうえ、自分の懐を肥やすものも多い。ところが、この議員は違っていた。銃規制を訴えたのである。

 危機感をおぼえた全米ライフル協会は、この議員の落選を図った。この議員のありもしないスキャンダルをでっちあげ、途方もない金を使って、マスコミを利用し、アンチキャンペーンをはった。家族への脅迫も行ったという。卑劣というしかない。

 結局、この議員は落選した。これを見たアメリカの議員は二度と銃規制を提案しようとはしない。声に大にしてはいえないが、日本でも同じようなことをしている団体がある。

2007年12月4日火曜日

困ったな

 法務省はテロ対策と称して、11月20日から日本に入国するほぼすべての外国人から指紋採取と顔写真撮影をする制度をはじめた。

 この話を聞いて、30年ほど前にアメリカをはじめて訪れたときのことを思い出した。サンフランシスコ空港に到着すると、入国審査のゲートは長蛇の日本人であふれていた。何時間続くのだろうか。そんな思いにとらわれた。

 当時は、海外旅行をするひとも、それほど多くはなかった時代である。それでも、アメリカに入国するために、何時間も待たされ、あげくに、ようやく順番が来たと思ったら取り調べのような質問ぜめで閉口したことを覚えている。正直ひどい国と思った。

 今回の日本の措置に対して、怒りをあらわにする海外のひとも多い。人種差別と指摘する海外メディアも多い。特に、日本に長く住んでいる外国人には面白くないようだ。

 その気持ちも分からなくはない。しかし、国の治安を守るためには、今回の方法は確かに有効である。法務大臣は、アルカイダの関係者が偽造パスポートで日本に潜入していると言ったが、今回の制度で不法侵入は阻止できる。

 「郷に入らば郷にしたがえ」という俚諺がある。日本の制度と理解してもらうしかないだろう。アメリカの入国では不愉快な思いをしたが、その後、アメリカで暮らすうちに周りのひとたちの親切心や思いやりにふれ、アメリカがすっかり好きになった。入国したあとで、われわれ日本人が海外のひとをケアする。それしかないのかもしれない。

2007年12月2日日曜日

道路と金

 朝、タクシーで駅まで向かったら、いつもの一方通行の道路が工事で通れなかった。タクシーの運転手がなげいていた。「最近やたらと工事が多いんですよ」と。おかげで、朝から渋滞だ。

 理由は、国土交通省である。道路特定財源を絶対に道路以外に渡したくない。ところが、予算が余りそうだ。だから、必要がないにもかかわらず、舗装したばかりの道路を掘りかえてして整備したふりをする。ばかとしか言いようがない。

 ある僻地の漁業関係者の談話が新聞にのっていた。漁港の近くに、高速道路がないため、新鮮な魚を都市部に届けるのに、狭い一般道路を猛スピードを出して車を運転しなければならない。危険このうえないという。

 そして訴える。もし、高速道路を整備してくれたら、(自分たちは)どんなに便利になるだろう。地方には、まだまだ高速道路が必要だということを理解してほしいと。まさに国土交通省の思う壺である。こんな記事をのせる新聞社もどうかしていると思うのだが。

 道路は税金でつくられる。もちろん、道路ができれば便利になるかもしれない。それは否定しない。しかし、その結果、どれだけの費用対効果がえられるのだろうか。ただでさえ、国の借金は、国民ひとりあたり1500万円ある。それを放置したまま、利用者の少ない道路をつくる意味がどれだけあるのだろう。

 そういえば、こんな理屈で、立派な港湾や岸壁が日本中につくられたことがあった。ところが、船など寄港せずに、巨大な釣堀と化しているだけと揶揄された。農道空港という無駄もあった。すべて使われずに放置され、国の借金だけが増えている。

2007年11月30日金曜日

質量保存の法則

 小、中学生を対象にした理科の学力調査の結果が27日文部科学省から公表された。その中で、なぜかクローズアップされているのが、質量保存の法則である。

 面白いことに、小5と中2で同じ問題を出題したようだ。その問いは
「水100グラムに食塩20グラムを溶かしてできた食塩水の重さと、なぜそうなるか」というものである。

 どうだろう。正答が書けるだろうか。答えは120グラムである。

 ここで、120グラムと正答し、溶けても食塩の重さは変わらないなどと答えられたのは小5で57%。中2の正答率は54%と小学生よりも低かったという。また、誤答では、溶けると「(食塩が)なくなる」などがあったという。

 同じ問題で、中2の正答率が低いという結果は情けないと見られている。しかし、正答率の低さは、経験からくるのではないだろうか。実は、化学変化の前後で質量が変わらないというのは不思議なことなのである。

 中2ぐらいになれば、スパゲッティをゆでるところを見た経験もあるだろう。この時、お湯に塩を溶かすが、たしかに見た目では塩は溶けてなくなる。さらに、体積は変わらない。こんな経験を持っていれば、単純に重さを足すことに抵抗があるのではないか。むしろ小学生は、何も考えずに足し算をしたと言えなくもない。

 さらに、その理由が「溶けても食塩の重さは変わらない」というのはお粗末過ぎる。この現象は、考えれば大変不思議なことなのだ。普通なら、異なる物質を足せば、体積は増える。ところが水と塩では増えない。これが、何に由来するか。それに興味を抱き、深く考えるくせをつけさせる。それが大事であろう。
 
 ちなみに、アインシュタインの特殊相対性理論によれば、質量とエネルギーは等価である。そしてエネルギーが発生すれば質量が減ることになっている。

2007年11月27日火曜日

防衛利権

 1976年に発覚したロッキード事件は、アメリカが田中角栄元首相を潰すために仕組んだ陰謀であると喧伝されたことがある。いまでは、それは否定されている。むしろ、別な側面があったのではないかといわれている。

 ロッキード社は、全日空の旅客機として自社の「トライスター」を納入させるため、合計30億円のカネを日本政界工作に使った。そのうち5億円を総理大臣だった田中角栄氏が受け取ったとされ、収賄容疑、外為法違反容疑などで逮捕された。

 実は、残りの25億円は岸信介氏(安部元首相のおじいさん)の盟友である右翼の大物・児玉誉士夫氏が受け取った(らしい)。そのカネは、彼を通して政界に分配されている(ようだ)。

 アメリカが恐れていたのは、これら自民党の親米政治家がすべて逮捕されて、アメリカの敵である社会党や共産党が利することであった。そのために、田中元首相をスケープゴートにして、他の政治家を守ったといわれている。

 ただし、もっとうがった見方がある。それは、検察の本当のねらいは防衛利権にあったというのだ。裏で動く金額は民間機の比ではない。おそらく、その10倍はあろう。ロッキードの戦闘機F-104とP3C対潜哨戒機をアメリカは自衛隊に売り込もうとしていた。この取引で裏金を受け取ったとされている自民党政治家は、その名前を聞くと、驚くような大物ばかりである。

 皮肉なことに、防衛機密という名のもとに、いままで隠されていた闇が、山田洋行という利権のためだけに存在する商社の内紛で表に出ようとしている。戦々恐々としている政治家や自衛官も多いのではないか。僥倖とはいえ、闇の一部が少しでもあぶりだされるのを祈っている。

2007年11月26日月曜日

諫早湾

諫早湾干拓事業が無事完成したというニュースが出ていた。あまりにもバカげた所業であった。一部の政治家と業者が国の金で私服を肥やすために、まったく意味のないことをした。それが諫早湾干拓事業である。悲しい話である。この事業のために、2500億円もの血税が使われたという。

 問題は税金の無駄遣いだけではない。自然を破壊し、そして、それまで豊潤だった海を死なせ、多くの資源を死滅させた。これほど愚かしい人間の所業があるだろうか。

 この事業は1951年に計画されたものである。なんと60年近く前の話だ。しかも農地を確保するのが主目的であった。いまさら、誰が干拓地で農業を始めるのだろうか。

 実は、干拓受託事業者から自民党の政治家に多額の献金が贈られているのだ。なんと16年で11億円に達するという。そういえば、この干拓事業の強力な推進者であった元農水大臣の松岡氏が諫早湾干拓事業反対の政治家とテレビで議論していたことを思い出す。地元の事情を知らないものが口を出すなと恫喝していた。

 日本は借金であえいでおり、消費税を20%まで上げなければ滅びるという指摘もある。しかし、その前に利権構造にメスを入れる必要があるのではないか。

2007年11月22日木曜日

ミシェラン3つ星

 いやはや驚いた。あの超難関といわれたミシェラン3つ星に輝いたレストランが東京で8軒も生まれたのである。ニューヨークで3つ星に格付けされているレストランは、たったの一軒しかない。いかに難しいかがわかるであろう。

 星ひとつでも大変な名誉とされている。それが、3つ星となると、そのレストランを訪れるためだけに旅行してもよいとされる。破格である。3つ星に格付けされると、世界中から料理めあての観光客が訪れるという。
 
 ミシェランの格付けが下がるということを危惧したシェフが自殺したということからも、その影響力の大きさが分かるであろう。評価されたレストランには素直におめでとうと言いたい。トーマスがそう言ったところで、何の有難みもないかもしれないが。

 おいしい料理を楽しむのは、なんとも言えない幸せである。しかし、料理は味だけではないことを忘れてはならない。気の置けない友人や家族と語らいながらする食事は格別である。

 もうひとこと言わせてもらえば、食べ物をおいしいと本当に感じるのは、おなかがすいている時である。満腹で一流レストランに行ったら、どんな豪勢な料理も楽しめない。所詮はそんなものなのだ。

 一方、本当にひもじい思いをしたときには、食べ物のありがたさを、いやというほど感じる。目黒のさんまがいい例である。グルメを競うことにどれほどの意味があるのだろうか。結局は、金持ちの道楽ではないのか。

 「うちは、料理が絶品なのだから無駄口はたたかず料理だけを味わえ」という料理家がいる。トーマスは思う。そんなレストランには絶対行きたくないし、そんな不遜なことを言う人間が作る料理がおいしいとは思えない。

 最後に、人間が人間を評価することに絶対はない。ノーベル賞の失敗をみれば分かるであろう。ミシェランの格付けは一年ごとに更新されるという。最高位に評価してくれたことは嬉しいことかもしれないが、それに固執する必要はない。評価する人間が一流とは限らないのだ。

2007年11月21日水曜日

教授の品格

 トーマスがアメリカの高校に通っていたころの話である。住んでいたのは、サンフランシスコの近くにある田舎町であった。なぜか、日本からの訪問者が多かった。サンフランシスコに近いということもあったのだろう。

 日本からツアーグループがやってくると、歓迎パーティーが催された。その趣旨はよく分からなかったが、海外の旅行者と交流するというのは、田舎に住んでいる人たちの楽しみのひとつであったのかもしれない。当時は、アメリカが日本社会を積極的に受け入れようとしている時代でもあった。

 訪問グループには、ある企業の一団や、一般の旅行客もあった。実に多種多様であり、どういうコネでやってくるのかはトーマスにはよく分からなかった。

 なぜか日本からの訪問者があるときは、トーマスは必ずパーティーに呼ばれた。いまにして思えば、その街では、ただひとりの日本人留学生であったので当然だったのかもしれない。そういえば、街に住んでいる日系二世や三世も呼ばれていた。高校生だからアルコールは飲めなかったが、ちょっと豪勢な料理が食べられるので、それはそれで楽しかった。

 ある時、訪問団のひとりに京都大学の教授がいた。どうやらカリフォルニア大学バークレー校を訪れたついでに、この街に来たらしい。当時トーマスは、京大教授は神様みたいな存在と思っていたので、親切心でお世話係を申し出た。

 ただし、彼には不愉快だったようだ。高校生ごときに世話にならなくとも、おれは英語でコミュニケーションができるんだぞということらしい。ただ彼の英語は、現地のネイティブにはまったく通じなかった。さらに、彼は、自分の研究の自慢ばかりで、自分はこれだけすごい研究をしていると説明した。当然、パーティーでは明らかに浮いていた。

 トーマスは必死にフォローした。京都大学は日本でトップの大学のひとつなのだと。すると現地のひとがこう言った。「ここでは京都大学なんて誰も知らないよ。UCバークレーは、世界的な大学だけどね」と。その町には、バークレーの教授が何人か住んでいた。
 さらに付け加えた。「彼がパーティーで嫌われているのが分かるかい。英語が下手だからじゃない。トーマスが苦労して場に溶け込ませようとしているのに、それが分からないからだよ。そんな人間はどうしようもないな」

2007年11月20日火曜日

学生評価

 ある予備校の調査である。大学教員の10人に6人がいまの大学生の学力は低下していると感じているという。ただし、裏を返せば、10人のうち4人はそう思っていないということなので、結論を出すのは早計かもしれない。

 大学生の学力低下の要因として「ゆとり教育」が挙げられている。ただし、少子化が進んだために、以前よりも大学に入りやすくなったので、全体のレベルが低下しているという指摘もある。

 ただ、いろいろと聞いてみると、能力が低下しているというよりは、意欲が欠如しているという意見のほうが強い。要は、ハングリー精神がないのだ。トーマスが若い頃は、頑張って大学に行こう。そういう意識が強かった。

 ただし、大学で一生懸命勉強したかといわれると心許ない。大学は勉強するところというよりも、卒業資格をとるだけの場所という意識が強かった。

 社会も大学教育にまったく期待していなかった。企業も、「新人は会社に入ってから鍛えます」という意識が強かったと思う。つまり、大学の存在意義は、その大学の入学試験に通ったという証明だけで、そこで教育を受けたということには、なんの意味もなかったのである。

 トーマスは、東大に入ったが、その教育レベルはあまりにもひどかった。学生に教えるということに意気を感じる教師はほとんどいなかったと思う。ただし、他の大学も同じようなものであった。「本当に勉強したいやつは独学しろ」そういう時代だったのだ。

 最近、学生に「将来の希望はなんですか」というアンケートをとった。「そこそこ暮らしていければ」そんな応えがあった。確かに、いまの日本では、なんとか暮らしていけるだろう。ただ、誰かが言ったほうがよい。いまの暮らしは、日本の高い技術力に裏打ちされているのだと。

 もちろん、将来に大きな希望を持っている学生も多かったことを申しそえておきたい。

2007年11月19日月曜日

バブルとサブプライム

 いまの大学生はバブルと聞いてもピンと来ないらしい。当たり前である。彼らが生まれて間もない1986年から1991年頃の話である。日本はわが世の春を謳歌していた。

 当時は、銀座で夜飲むと、タクシーがまったくつかまらなかった。店が客用にタクシーを呼べることが、一流店のステータスであったくらいである。乗ったタクシーの運転手の鼻息はあらく、東北からの出稼ぎだと話していたが、農閑期に3ヶ月もアルバイトをすれば、一年分の稼ぎがあると豪語していた。

 株価は天井知らずの高騰で、毎日のように最高値を更新した。素人が株で大 儲けするのが当たり前で、株をやらないのはバカとさえ言われた。NTT株は将来一株5000万円になると言って購入を勧めた証券マンもいた。
 
 当時は、マンションや住宅の買い替えで財をなすひとも多かった。マンションの値段があっという間に上がるからである。借金をして買っても、すぐに値段が上がるので、それを売れば借金はチャラとなり、さらにお金が残る。

 うまくマンションを売りぬけ、最後は億ションをせしめたひとも居る。この話とよく似たのがアメリカのサブプライムローンである。借金して家を購入しても、その家の価値が上昇すれば問題ない。

 しかし、ちょっと考えれば、住宅の価格が上昇し続ければよいが、一度、下がれば大変なことになるのはみえみえである。結局、バブル後は、日本でも破産者が続出した。アメリカで、まったく同じことが起こっている。しかも被害額は200兆円を超える可能性があるという。

 日本の株価が、もうすぐ4万円に届くという頃、アメリカのワシントンで株価暴落のニュースを聞いたのを覚えている。これは大変なことになると思ったが、その予感はあたった。株価はいっきに急落し、2万円を切るまでに落ち込んだ。当然、素人の株屋はみな大損し、借金を抱えることとなった。歴史は繰り返すというが、人は学習しないのだろうか。

2007年11月18日日曜日

教授解雇

今後、増えるだろうなという事例である。北陸大学でのドイツ語担当教授の解雇だ。

 北陸大学では入学者の定員割れなどのため、法学部と外国語学部を未来創造学部に統合した。その際、ドイツ語の教育を廃止したのである。そのあおりで、ドイツ語担当の教授に解雇通知を出したというわけである。

 大学側の事情も分かる。このままでは生き残れない。大学がつぶれたのでは、職員を全員解雇しなければならない。その前に、なんとか再編で再生を図ろう。当然、不必要な部門も出てくる。その部門の教授を抱えて高い給料をはらうわけにはいかない。

 一方、教授の立場もよく分かる。突然、解雇されたとしても、すぐに次の就職先があるわけではない。「ドイツ語は医療現場などで重要な言語」と主張しているようだ。しかし、別の部門を廃止したら、そこから反対意見が出るであろう。

 国は膨大な借金を抱えている。聖域なき改革の一環で、国立大学や私立大学に交付される補助金が、どんどん減額されている。しかも、学生数は年々減り続けている。いままでのような大学経営が成り立つわけがないのである。

 解雇を言い渡された教授は地位保全と慰謝料を求めて、裁判で訴えているようであるが、勝訴は難しいであろう。これを認めたら、大学の再編などできなくなるからである。

2007年11月17日土曜日

スーパーティーチャー

スーパーティーチャーという制度があるのをご存知だろうか。

平成17年の中央教育審議会答申によって導入された制度である。高い指導力のある優れた教師を位置づけるものとして、教育委員会の判断で、『スーパーティーチャー』などのような職種を設けて処遇し、他の教師への指導助言や研修に当たるようにするなど、教師のキャリアの複線化を図るというのがねらいである。

これは、教員の質の低下が社会問題化したため、その対策の一環として提案されたものである。ただし、すべての都道府県が導入しているわけではない。

 この制度の趣旨そのものに異存はない。現場で頑張っている先生に、それなりの処遇を与える。それは大切である。問題は、どうやってスーパーティーチャーを選定するかというやり方である。

 選定方法も教育委員会にまかされているようであるが、「誰がどうやって選ぶか」というレベルまでくると、急にきな臭くなる。実際に、京都では体罰で処分をうけた教員がスーパーティーチャーに選定されている。

 教育は本当に難しい。教え方がうまい先生よりも、たとえ下手であっても生徒と真正面からぶつかってくれる先生のほうが生徒の記憶に残るといわれる。教育実績のない新任の先生が、往々にして人気が高いのは、先生にも生徒にも新鮮さと緊張感があるからだ。ともに成長するのである。

 教育に王道なし。つねに、工夫を重ねていく。これが大事である。完成された教育手法などありえないのである。

2007年11月16日金曜日

国際貢献

 テロ特措法の論議で思い出したことがある。日本は、自衛隊を戦地に派遣できないという制約から、海外から非難されたことがある。イラクがクウェートに侵攻したことに反発したアメリカが多国籍軍をイラクに派遣した湾岸戦争の時である。

日本が軍事的な協力をしなかったということからアメリカ国内で非難が巻き起こった。そこで、当時の自民党の幹事長であった小沢一郎氏は、一兆円もの巨費をアメリカに提供したのである。

 残念ながら、この対応は評価されなかった。そこで、日本は英語が堪能な政治家をアメリカに送り込み、日本はこれだけ貢献しているという講演を複数の大学でした。ところが、学生からは総すかんを食らった。

 この政治家は「日本は国民ひとりあたり100ドルもの金を出して湾岸戦争に協力している」と訴えたそうだが、アメリカの大学生からは、たった100ドルでアメリカ人の命を買うのかと顰蹙を買ったらしい。

 なんとも情けない話である。一兆円といえばいいものを、国民の数で割って、たった一万円の寄与ということに矮小化してしまった。実は、トーマスの同級生の外務官僚が、この講演に随行したと聞いて、怒ったことがある。なぜ、一兆円の寄与を一万円にしてしまったのかと。すると、しれっとした顔で、そのほうが分かりやすいと政治家が言ったからという。

 その頃、海外の研究者と飲む機会があり、このことが話題になった。その場で、日本は一兆円の金を湾岸戦争に拠出したといったら、みんなが驚いた。トーマス本当か。いや、お前はドルと円の換算を二桁まちがえているのではないかと。つまり、当時の、海外の認識は、日本ははした金でごまかしたという印象しかなかったのである。本当に一兆円を出したなら、日本の貢献が一番大きいと各国の研究者は言った。

 実は、この金の使い道をアメリカは明らかにしていない。しかも、多数の日本の政治家にキックバックがあったとも言われている。日米双方の政治家が、この金を食い物にしたのだ。国民の血税である。しかも、日本は世界からバッシングを受けている。情けない。

2007年11月15日木曜日

危機管理

 最初からおかしいと思っていた。船場吉兆の不祥事である。事の発端は福岡市の百貨店「岩田屋」の地下食品売り場にある「吉兆天神フードパーク」での賞味期限の偽造である。

 この問題が報道されると、吉兆本社は「現場責任者のパート従業員が独断で表示シールを張り替え、われわれは知らなかった」というコメントを出した。そんなことがあるわけがない。それが最初の印象であった。理由は簡単である。パート従業員が、勝手に賞味期限を偽造する意味がないからである。

 彼女らは、あくまでもパートである。製品が売れ残ったところで問題が生じるわけではない。むしろ、勝手に偽造して、食中毒でも発生したら、場合によっては刑事責任も発生する。そんな愚かなことに手をだすはずがない。

 今回の事件では、吉兆は情けないくらい往生際が悪い。最初の段階で、社内調査をし、不正をみずから明らかにすれば被害は最小限で済んだものを。それが、事実を隠蔽しようとしたり、力のないパート従業員に責任をなすりつけようとした。つくづく危機管理のできていない会社である。
 
 偽装は止まらない。「但馬牛こがねみそ漬け」に佐賀県産と鹿児島県産牛を使っていたり、「地鶏のみそ漬け」と称してブロイラーを使っていたことも明らかとなった。会社ぐるみで不正をしていたのだ。吉兆の看板が泣いている。

2007年11月11日日曜日

議員ひとり3億円

いやはや驚いた。この国は、いったいどうなっているのだろうか。政府は9日、国会議員(衆院議員480人、参院議員242人)1人当たりにかかる経費は、2007年度予算で3億1078万円との試算を示した。

もちろん、ひとりあたりの金額にもあきれるが、もっと問題なのは、日本の議員の数が多すぎるということである。アメリカの人口は約3億人で、日本の約3倍であるが、下院議員の数は435人、上院議員の数はたったの100人である。

これに対し、識者のコメントとして、「ヨーロッパに比べて人口あたりの議員数は日本が少ない」とある。このコメントにもあきれる。ヨーロッパは、人口の少ない国がひしめきあっている。よって、日本では地方議員に数えられるようなひとも国会議員となっているのである。そんな地域と比較すること自体が無意味である。

 日本の議員の問題は数だけではない。ひとりひとりのレベルがあまりにも低すぎるのだ。法務大臣のとんでも発言や、民主党党首の愚行からも、そのレベルは知れるであろう。

 海外の議員が立派とは必ずしも言えないが、日本の議員は、おしなべて地元利益誘導型である。いかに自分の選挙区に金を落とすか。それがすべてである。そしてついでに金を自分の懐にくすねる。それが700人以上もいて、税金を食いつぶしている。

 議員たちの愚行は税金の無駄遣いだけではない。族議員として役人に無理難題を押しつける。もちろん、国会議員だけが問題なのではない。政務調査費で豪華旅行をして、税金を無駄遣いしている地方議員もやまのようにいる。議員の数を半減したら、日本はどれだけよくなるだろうか。

2007年11月9日金曜日

日本の政治家

 テレビのニュースを見ていて本当に驚いた。常識はずれの政治家は何人も見てきたが、このひとは群を抜いている。鳩山邦夫法務大臣である。

 彼は、10月29日、東京都内の外国特派員協会での講演でとんでもない話をした。「私の友人の友人にアルカイダがいる。『バリ島の中心部は爆破するから近づかないように』とアドバイスを受けた」と発言したのだ。冗談ではない。

 これは、彼がバリ島のテロを事前に知っていて、何も対策をとらなかったことを意味している。多くの無実のひとたちを見殺しにしたのだ。さすがに、まずいと思ったのか、講演後に、「事件の3、4カ月後に聞いた話」と訂正した。しかし、特派員協会での話を聞いた限り、事前に知っていたとしか思えない発言であった。常識人なら分かるであろう。事件後に現場に近づくなとアドバイスされるはずがない。

 当然、遺族は怒っている。バリ島のテロでは、新婚旅行で滞在中であったふたりの日本人が命を落としている。遺族は外務省に連絡を取ったが「大臣の発言内容の真偽が確認できない」と相手にされないようだ。

 仕方がないので、鳩山事務所に遺族として実名を名乗った上で「事件を予告されながら国民を守ろうとする働きを一切しようとしていない。大臣として失格であり、即刻辞任し、陳謝すべきだ」と記したファクスを送ったようだ。当然のことであろう。しかし、いまだに無視されたままという。

 彼の驚くべき発言はこれだけではない。「若いころはペンタゴンにてんぷらをおごってもらった」とか「日本にはテロリストがいる」などと迷走発言を繰り返している。本当に政治家なのであろうか。
 
 ふと考えて思い直した。日本の政治家なのだから、こんな支離滅裂は当たり前なのだと。民主党のごたごたを見れば、よく分かる。

2007年11月7日水曜日

忘れられた村

 岩手県にかつて沢内村という村があった。いまは市町村合併で西和賀町となっている。この村は、日本ではじめて老人医療費を無料にしたことで知られる。中学校の社会の時間の課題で調べたことがあるのでよく覚えている。

 沢内村は1960年に65歳以上の医療費を無料化、翌年には60歳以上に拡大した。当事調べていて、不思議に思ったのは、無料化後に村の医療費が減ったという事実である。

 そんなばかなことがあるのだろうかと疑問に思った。しかし、理由を聞いてなるほどと思った。無料化になったことで老人が気軽に病院に行けるようになったからだという。その結果、大病になるまえの治療が可能となり、医療費が逆に減ったというのである。

 まさに逆転の発想である。非常に感心したことを覚えている。こんないい制度は日本全国に広めるべきだと中学生ながら思った。調べると、沢内村にならって、1969年に東京都と秋田県が老人医療費の無料化に踏み切ったことを知った。その後、老人医療費無料化は全国に広がったという。

 なぜ、こんなことを思い出したかというと、2007年版厚生労働白書が特集としてまとめた「老人医療費の無料化の歴史」が最近ニュースで話題になったからだ。なんと、この白書ではパイオニアの沢内村のことをまったく無視しているらしい。これに、旧沢内村村長(現西和賀町長)が苦言を呈したというのだ。当然であろう。

 これに対し、厚労省保険局老人医療企画室は「都道府県段階の無料化を取り上げたまでで、沢内村を否定したものではない。間違いではない」と開き直っているらしい。まさにお役所仕事の面目躍如である。しかも、例によって誤りを認めない。

 エイズ薬害問題、C型肝炎問題、年金問題。どれをみても、厚労省の体質は変わらないようだ。

2007年11月6日火曜日

教育と研究

かつて、アメリカの大学で議論が巻き起こったことがある。大学では研究業績だけが重要視され、教育業績がないがしろにされているという指摘である。大学の本来の使命は教育であり、研究はあくまでも付録であるはずだと。

 実は、日本でも同様の議論が沸き起こっている。大学では教育がすべてであり、研究はどうでもいいという主張する大学人も多い。文科省も、大学を教育大学と研究大学に二分したいようだ。本音は、補助金を減らしたいということのようだが。

 教育大学を標榜するひとは、「研究をやっている連中にろくなやつはいない。なにしろ教育をないがしろにしている」と主張する。確かに、そういう教授がいるのは確かである。しかし、はっきり言いたい。教育をないがしろにするものは研究者として三流である。

 ただし、「自分は研究はしないが立派な教育をしている」と主張する連中は、研究しない(できない)ことの言い訳に使っているだけである。しかも、教育でも手を抜いている。実は、研究をしなければ、新しい知識はえられない。自分がつねに研鑽を積んでいなければ、学生に興味ある講義などできるはずがないのだ。

 かつて友人のノーベル賞学者に、ある国際会議の招待講演を依頼して驚いたことがある。「親友のトーマスの依頼だが、断るしかないな」と言われた。理由を聞いたら、会議の開催時期が学期の途中なので大学の講義があるからだという。しかし、彼だけではなく、米国で有名な教授に招待講演を依頼すると、いつも同じようなこたえが返っている。一流の研究者は、教育をも大切にしているのである。

彼らはこう言う。"I always enjoy teaching my students. It is exciting." トーマスは少し反省する。

2007年11月4日日曜日

大連立

 驚いた。自民党と民主党が連立を組むという構想が、両党の党首会談で話し合われたというのだ。結局、民主党の反対で決裂することになった。

 大連立には、賛否両論いろいろある。両党の身内からの批判も強い。これには、選挙区事情がある。いまの小選挙区制では、連立はありえないからだ。そこで、昔の中選挙区制に戻すという案まで出ている。

 しかし、きなくさい。なんで、こんな構想が出てきたのだろうか。この話を持ち出したのは、自民側だ、いや、民主の小沢さんだとマスコミや評論家もかまびすしい。実は、中曽根さんが仕掛け人だったという噂も出ている。いや、読売新聞の渡辺会長という話まで出ている。

 ねじれ国会では、重要法案も通せない。参議院議員の任期は六年である。三年後に半数改選はあるが、野党の優位は変わらない。これでは、国の政治は前に進まない。

 そこで、天下国家を憂うる大物たちが立ち上がった。こんな美談を持ち出すマスコミもある。しかし、登場人物は、いずれ黒い噂の絶えない連中である。そういえば、この騒ぎで防衛省スキャンダルの扱いが小さくなった。こちらを掘り起こされては困るという政治家も多いと聞く。

2007年11月2日金曜日

ゆとり教育

 中央教育審議会が「ゆとり教育」が間違いであったことを正式に認めたらしい。政府機関が間違いを認めるということ自体珍しい。

 本来、ゆとり教育とは、ペーパーテストだけですべてを判断するという風潮から、「成績がすべてに優先する」という一般常識にかける子供や親が急増したことに危惧した政府が、もっと子供の多様な能力を伸ばそうと打ち出した教育政策である。つまり、「つめこみ教育」をやめて「ゆとり」へという発想であったはずだ。

 実は、トーマスは、ゆとり教育の趣旨に賛成したひとりである。それは、日本の教育に大いなる疑問をもっていたからであった。

 たとえば、日本では、学年ごとに学習目標が設定され、そこまでできなければ「落ちこぼれ」という烙印をおされ、まわりからもばかにされる。

 一方、アメリカでは、学習目標はあるが、それは、あくまでも目安で、それを達成できないからといって責められることはない。むしろ、生徒が少しでも進歩すればほめられる。「昨日までできなかったことが、今日はできるようになったね」というわけである。

 つまり、日本はネガティブ教育なのに対し、アメリカはポジティブ教育なのだ。子供の能力は多種多様である。同じ小学校一年生でも、レベルはまったく異なる。それを、一律に、ここまでできなければダメといわれたら、やる気がうせるどころか、希望も失ってしまうだろう。

 将来伸びるかもしれない才能を、日本式ネガティブ教育で、どれだけ芽をつみとっただろうか。それを心配していた。残念ながら、「ゆとり教育」となってもネガティブ教育の根は変わらなかったが。

2007年11月1日木曜日

奨学金を行政改革?

 財務省は、来年度予算で文部科学省の奨学金事業予算を削減する方針を固めたらしい。その理由として奨学金を遊興費に転用する学生が目立ち、苦学生支援という奨学金本来の意味が薄れつつあるとしている。

 確かに、その傾向はある。しかし、奨学金をもらった人間はいっさい遊ばずに、勉強だけしていろというのはどうだろうか。All works and no play makes Jack a dull boy.ということわざがあるように、勉強ばかりで遊ばない人間は将来大成しないといわれている。

 私も奨学金のお世話になったひとりであるが、ストレス発散に安い居酒屋に後輩をつれていっては、将来の夢を語ったり、世の中の不条理を嘆いたりした。

 給料の安い最初の頃は、返済するのは大変だったが、ちゃんと返さなければ、後輩に迷惑がかかると思って20年で完済した。問題は、奨学金を返さない人間が増えていることだろう。回収不能に陥った奨学金は、平成18年度には2000億円を突破するとされている。

 しかし、これにも理由がある。返したくとも返せない人間が増えているのだ。前にも話したが、博士号をとって定職につけるのは、わずかである。ポスドクについても、期限がきたら辞めざるを得ない。その後の保障はないのだ。仕事がなければ、返済はできない。2000億円という額は、博士問題の深刻さを反映しているのだ。

もちろん、中には返せるのに返さない不届きものもいる。典型例は、博士を日本でとったあと、海外に転出した連中である。督促状を送ろうにも行き先が分からない。その後、何年かして日本に帰ってきても連絡をとらない。そのまま踏み倒してしまうというわけである。

 とは言っても、奨学金を必要としている学生はけっして少なくない。財政が厳しいからという理由で奨学金を減らすと、日本の将来に禍根を残すことになるだろう。

2007年10月29日月曜日

緑のオーナー制度

 申し訳ないが、最初から胡散臭いと感じていた。林野庁が昭和61年から平成10年まで募集した「緑のオーナー制度」である。いま、投資家のすべてが元本割れにあえいでいる。国は損失補てんしないことを決定した。当たり前だろう。

 しかし、言いたいのは、どうして、こんなみえすいた嘘にだまされたのかということである。あるいは、詐欺と知っていて、日本の森林を守るためにボランティアとして金を投資したということであろうか。それならば、損を覚悟で投資したということであろうから、文句は言えまい。

 緑のオーナー制度は「人工造林地の保育や管理について、広く都市に住む人々の参加を求め、森林のもつさまざまな優れた機能の維持増進を図ろうとするものである」という意図で、林野庁傘下の森林整備法人が、主に杉林のオーナーを募集したものである。トーマスのもとにもさかんにパンフレットが郵送されてきた。

「森林所有者から植栽後、ある程度の年数を経て生育途中にある人工林の提供を得る一方、緑のオーナーとなることを希望する都市住民等にその造林地における過去の投資相当額と今後の所要経費の負担を求める」というのが趣旨である。日本語からは、裏に隠れている意図が分からない。要は、木のオーナーになって金を払えということだろう。

「森林所有者、費用負担者及び育林者の三者は分収育林契約を締結し、相互に協力してこの造林地が立派にできあがるように努めるとともに伐採時にその収益を一定の割合で分配する」となっている。あたかも、オーナーには収益の分配があるような印象を与えるが、当時から難しいことは多くのひとが知っていた。

 林野庁の失策による被害はこれだけではない。雑木林を伐採して杉林を増やした。ひとの通れない山奥に驚くような贅沢な林道をつくり、国の借金を増やした。台風がくれば、ダムは杉の木であふれている。保水力のない杉は、大雨がくればいっきに流されるからだ。結局、税金は自然破壊に使われたことになる。

2007年10月28日日曜日

サブプライムローン

 最近、サブプライムローン問題が世界的な株安の原因となっている。野村證券が1000億円の巨額損失を計上したことでも有名になった。

 サブプライムというのは、まともな利子では金を借りられない低所得者層のことである。これらサブプライムに高利で金を貸すのがサブプライムローンである。ただし、英語ではsubprime lendingが正しくloanという用語は使わない。

 まともな人間が考えれば、このローンが、いかにでたらめかが分かるだろう。こげつくのは当たり前である。そんなあやしげなローンに日本の金融機関がこぞって投資していたというのが不思議である。懲りない面々という言葉が頭に浮かぶ

 税金が優遇されるということから、アメリカでは住宅をローンで無理して買う人が多い。低所得者も、高い利子で借金し、住宅を購入する。驚くことに、この住宅を担保に、高利の金をさらに借りる。まさにあり地獄である。一度、はまったら抜けられない。借金を返せるわけがないのだ。

 実は、住宅を担保に借りた借金の額がいまだに不明なのである。一説には100兆円を越すといわれている。大変な金額である。まさに、日本のバブル時代を思い出す杜撰さだ。

 ところで、野村證券は、バブルのころに天下の野村と呼ばれ、不遜にも個人投資家をゴミと呼んでいた。その体質が昔にもどっていないことを願いたい。

 驚いたことに、これだけの損失を計上しても、野村證券は最終的には大きな黒字になるという。どこで儲けているのだろう。

2007年10月27日土曜日

新聞配達

 季節はずれの台風が関東に上陸するという。昨夜から降り続いている雨は勢いを増している。屋根に落ちる雨の音で目を覚ました。朝のコーヒーを飲んだあと、新聞受けを見にいくと、雨にぬれないように袋に包まれた新聞がちゃんと届いている。

 思わず、ご苦労さんと頭を下げる。どんなに天候が悪くとも、毎朝、新聞は届けられる。配達しているのは大学生である。新聞奨学生と呼ばれる。

 ほとんどの大手新聞社が採用している制度で、奨学生は、朝夕の新聞配達業務をこなす。その代わり、学費の一部あるいは全額を新聞社が払い、住居と給料も提供するというシステムである。つまり苦学生である。

 場所によって異なるようだが、トーマスが住んでいる地区では、彼らは新聞勧誘や、集金にもやってくる。集金の際に話を聞くと、居留守を使われたり、金がないから後から来いといわれることもあるらしい。

 新しい契約をとると、本当にうれしそうな顔をする。聞くと、都内の大学に通っている。大変だねと声をかけると、大丈夫です。大学を出たら、希望の職につきたいので苦にならないのだという。同情されたくないという強がりが少し垣間見える。

 大学で教えているので、感情移入が強くなる。つい気の毒になって、学生が勧誘にくると加入してしまう。それも半年ではなく一年。すると、学生は輝くような笑顔をみせる。おかげで、トーマスの新聞受けは三社の新聞で満杯である。

 彼らの労働条件は過酷ときく。中には、途中で挫折するものも多いようだ。でも言いたい。この苦労は将来につながるよと。

2007年10月26日金曜日

防衛スキャンダル

 防衛省の前事務次官の守屋武昌氏が業者との癒着で糾弾されている。なんとゴルフを毎週のように奥さん同伴で行い、かけ麻雀、焼肉パーティーをしていたというのだ。よく、公務員は安い給料で働かされて、寝る間も惜しんで働いていると文句をいっているが、どうやら、これは嘘らしい。

 その行状には、あきれてものも言えないが、実は、このスキャンダルが表沙汰になったのには理由がある。それは、山田洋行という会社の内紛である。
 
 山田洋行で長期に渡り防衛業界における事業拡大に寄与してきた宮崎元伸氏が、オーナーの山田一族との確執から、同社を退任した。宮崎氏は退任後、新しい防衛専門商社として日本ミライズを設立し、山田洋行から約50名の社員が同社に転籍した。

 なんと、GEの子会社は、山田洋行との販売代理店契約から戦闘機用のC-Xエンジンの取扱いを外し、日本ミライズを新たな代理店としたのだ。その経緯は分からないが、山田洋行側は当然激怒した。その結果、宮崎氏のスキャンダルをマスコミにばらしたのである。そのとばっちりを受けたのが守屋氏ということになる。

 とばっちりという表現は正しくない。不正をしていたのだ。ここで強調したいのは、この内紛がなければ、このスキャンダルは闇に葬りさられていたということである。不正を働いた事務次官は驚くような額の退職金を税金からせしめ、逃げおおせていたのである。

 いままで、どれだけの役人が不正をあばかれずに高い退職金をせしめていったのであろうか。そちらの方が気になってしょうがない。

羊頭狗肉

ミートホープ社の社長が逮捕された。
その後の報道に驚いた。うさぎ肉まで混ぜていたというのだ。DNA検査で見つかったというのだが、本当だろうか。

小さい頃、うさぎを近所のひとが食べていると聞いて驚いたことがある。しかし、それを食べた近所のおじさんは、生臭くて、とても食べられたものではないと言っていた。

よしんば、うさぎ肉を混ぜたとして、どこから手に入れたのだろうか。想像するだに恐ろしい。

最近、食に対する信頼が失せている。しかし、すべてのケースは、最近ばれたというだけで、実際には何十年も前から行われてきた行為である。

トーマスの父は出前の食べ物は絶対口にしなかった。家族は不思議に思っていたが、なぜか本人は理由を言わない。しつこく聞くと、出前をしている外食屋で働いたことがあるからだという。ただし、死ぬまで、その店がなにをしていたかは言わなかった。戦後の混乱期であったから、何でもありの時代だったかもしれないが、少しおそろしい。でも聞きたかった。

2007年10月22日月曜日

レッドソックス松坂

もし負け投手になっていたらどうだったろう。プレーオフのレッドソックス松坂の登板の話である。もちろん、松坂のこともあるが、それよりもボストン地区に住む日本人のことが心配だった。おそらく日本人全員がバッシングにあっていただろう。下手をしたら焼き討ちである。

なにしろ、あれだけ高い金を出してとったのだ。それなりの活躍を期待するのは当たり前である。
スポーツファンとは、いいかげんなもので、勝てば官軍、負けたら賊軍である。しかも、負けたら人格を含めてすべてを否定する。亀田ファミリーがいい例である。

今日、ボストンは大騒ぎらしい。何しろ、1勝3敗の絶体絶命からの大逆転である。スポーツバーでは、日本人に握手を求める地元ファンが多いという。しかし、もし負けていたらとぞっとする。きっと、袋だたきにあったであろう。

ところで、地元のテレビ局は、選手へのインタビューを興奮ぎみに、終日流しているらしい。ボストン在住の友人の話では、残念ながら松坂のインタビューはいっさい流されていないという。本来、英雄のはずなのだが。

答えは簡単である。松坂は英語がまったく話せないから、インタビューの仕様がないのだ。まさか、チームメートと喜んでいるところに、おじゃま虫の通訳など入れられないだろう。
今後の活躍のためにも、ぜひ英語を学んでほしい。ついでに苦言を呈すれば、あのぶよぶよの体はやめて欲しい。太る体質とはきくが、結局、野茂も太ってだめになった。あれだけ、めぐまれた才能があるのだ。イチローを見習って、体重管理をしてほしい。よけいなお世話といわれるかもしれないが。

赤福

 伊勢志摩観光のおみやげは赤福というのが定番だった。本拠地は伊勢神宮のある三重県であるが、その勢力は名古屋など広い範囲に及んだ。
 その老舗が、偽装したというから驚きである。

 最初は、工場が比較的暇な時期に、作りだめしたり、余ったりした商品を冷凍し、繁忙期の年末年始に解凍して売り出すと言い訳していた。この程度ならば、許せるかなと思っていたが、実際はそうではなかった。
 何と、売れ残った商品をそのまま包装し直しただけの「まき直し」を、よく売れる販売店へ、朝早い便で出荷していたというのだ。これは、完全に偽装である。しかも、この偽装工作は30年も前から行われていたという。空いた口がふさがらない。

 しかし、こんなやり方では、古い偽装品と新品の区別がつかなくなるのではと考えていたら、ちゃんと対策がとられていたのである。
 まき直しは「謹製」の日付の部分に印字した「・」(ピリオド)で目印をつけて、担当者が見分けがつくようにしていたという。これならば、古い商品をまき直しする心配はない。感心するやら、あきれるやら。会社ぐるみの偽装だったというわけである。

 ところで、赤福だけではなく、最近、食品会社の不正が明るみに出ている。これに対して、社会全体のモラル低下を原因と指摘するむきもあるが、赤福は30年も前から偽装をしていたのである。いまに始まったことではないのだ。
 あえて言えば、不正が明るみに出るようになったのは、公益通報者保護法が成立したことと関係があるのかもしれない。内部告発者が、法で守られるようになったのだ。

 ただし、いまだに、日本には内部告発者を非難する風土がある。警察や検察の裏金を内部告発した人間が組織から疎まれ、罪を犯した連中は責任をとらずに出世している。

2007年10月20日土曜日

実るほど頭を垂れる稲穂かな

実りの秋である。稲穂が育ち、田圃は黄金色を帯びている。そして、たわわに実った稲の頭はみごとに下がっている。その様子を見て、できた言葉が「実るほどこうべをたれる稲穂かな」であろう。五七五となっているので、ある賢人が詠んだものと思ったが、どうやら出所は不明らしい。

社会で地位や名声をえているひとほど謙虚という意味である。社会で成功するためには、自分の実力だけでは難しい。必ず、多くのひとの支援がある。それに感謝する気持ちを常に忘れないというわけである。

しかし、まわりを見渡すと、この言葉は普遍とは言いがたい。政治家しかり、テレビ関係者しかり、最近では、沢尻エリカや亀田ファミリーがすぐに思い浮かぶ。

亀田兄弟がかつてトレーニングしていたボクシングジムのオーナーが、昔は 兄弟も父も礼儀正しかったと証言している。いまの亀田ファミリーの態度が信じられないといういのだ。

 彼らは、いつから変わったのだろうか。世間の注目をあび、大金が入るようになってからだという。大阪をすて、東京の協栄ジムに移籍してからおかしくなったとされている。その人気をいいことに増長したとしか思えない。
 あれだけ世の中で注目されるようになったのは、多くのひとの支援があったからこそなのだ。それを忘れてはならない。いまは、亀田ファミリーのバッシング一色だが、これをいい教訓として、一家が初心にかえることを祈りたい。

2007年10月19日金曜日

二世議員

いまや、日本の政界は二世議員であふれかえっている。地盤、看板、かばんを親からひきついで苦労せずに選挙に受かる。

 これには、いい面と悪い面がある。いいところは、変なあせりがないこと。一から選挙に出ようという人間は大変な苦労をする。当然、支援を受けた人間とのしがらみも強くなる。
政治家の支援者は自分たちの利権を確保したいから推すのである。当然、当選したら見返りを要求する。これでダメになった政治家はやまのようにいる。
一方で、なんの苦労もせずに当選した二世は利権集団をそれほど大事にしない。そのため、思わぬしっぺ返しを食うことになることもある。なにしろ、支援者たちが、二世を議員に推すのは、利用したいがためであって、人間性や実力などまったく評価していない。

世襲の大きな問題は、受かった議員が自分の実力で受かったと勘違いすることであろう。 かつて、議員連盟の勉強会と称した昼食会に出たことがある。二世議員のオンパレードであった。そして、驚いた。できの悪い小学生以下である。まず、講演者の話をまともに聞かない。話の途中なのに平気で歩き回って、議員どうしで挨拶している。学級崩壊というが、国会議員はそれよりひどい。

 人の話を聞かずに歩き回るだけでない。質問するときの言葉づかいが、まったくなっていない。講演者に対して
「あんたの言っていることはさっぱり分からない」
と暴言をはく。人の話を聞いていなかったはずなのだが。
あげくのはては
「予算をつけて欲しいだけなんだろう。わかっているよ」
不遜そのものである。
驚いたことに、明らかに愚鈍な二世議員の多くが大臣になっている。そのひとりの就任挨拶を聞いて驚いた。実に殊勝である。少しは勉強したということか。でも、彼らの傲岸不遜な顔をみれば、まったく進歩していないことが分かる。

2007年10月16日火曜日

晩節を汚す?

黒川紀章という名前を聞くと、どんな印象を持つだろうか。丹下健三の弟子で、世界的に有名な建築家。「世界中の建築家は自分のまねをしている」と豪語する不遜な自信家。そして、有名女優の若尾文子と結婚した男。そんな程度のイメージであったろうか。

 それが驚くことに、都知事選に立候補を表明した。しかも、奇行と耳を疑う発言の数々。このひとは気がふれたのではと疑ったひとも多かったろう。
 石原都知事が演説している横で、ハンドマイクを持ちながら、石原裕次郎の「銀座の恋の物語」をオンチそのものの声で歌っているところなど、下手な喜劇よりも、はるかに面白かった。意図は全然理解できなかったが。

 そして、みごとな落選。話題には上ったが、票にはまったく結びつかなかった。これで退散するかと思ったら、なんと、参議院議員選挙に再び登場した。しかも、奥さんの若尾文子さんをともない、共生新党という政党までつくってしまった。これにも唖然とさせられた。

 選挙カーも独特である。あれが、世界的な建築家のデザインかと思わず笑ったひとも多かったろう。そして、これまた見事に落選。

 この一年で、黒川紀章という天才建築家に対する世間の見方が大きく変わったのは確かだろう。さらに驚いたことに、あっという間に亡くなってしまった。あまりの早わざに声も出ない。
 そして「自分はいい妻ではなかった」という若尾文子に「本当に好きだったから」とさらっと言えるスマートさ。やはり凡人には天才は分からない。

亀田ファミリー

 ボクシングの亀田ファミリーに処分が下った。その処分が重いかどうかには賛否両論がある。世界戦であれだけ失態を演じたうえ、反則を促すセコンドの声がマイクで拾われていたのだから、しかたがないであろう。

 個人的には、亀田ファミリーは嫌いではなかった。あの不遜な態度も、若気のいたりといえば、それまでである。ヒールとしての亀田をマスコミが期待し、それに応えるために、兄弟が、あのような態度をとり続けたとも思えるからだ。
 
 しかし、今回は許せないことがあった。
 世界チャンピオンの内藤大助はかつて、ひどいいじめにあっていたという。その苛烈さのために胃潰瘍ができたほどだったという。内藤は、そのいじめを克服するために、ボクシングをはじめた。

 最初の世界戦では、たった34秒で破れ、日本の恥といじめられたそうだ。しかし、その苦杯にもめげず、再度立ち上がり、世界チャンピオンとなった。

 その内藤に亀田大毅は
「あまえは、いじめられっ子だったらしいな。俺はいじめっ子だから、お前をいじめてやる」
と言ったらしい。これはいけない。言ってはいけないことであるし、彼の本性をむきだしにした発言だ。

 内藤の活躍を目にして、いじめから立ち直った子供も多いという。
「今いじめで苦しんでいる子たちのためにも自分は負けられない」
そう内藤選手は誓っていたという。

2007年10月13日土曜日

奇行の政治家

またも小沢一郎の奇行がはじまった。
日本社会が停滞しているのは、自民党という利権誘導型政党が60年以上も与党で政治を牛耳ってきたからである。政権交代がこれだけ進まない民主主義の国は世界に例をみない。

かつて、一度だけ政権交代のチャンスがあった。それをつぶしたのは小沢一郎である。偏執狂的な社会党攻撃で、ついに社会党が腹を立て、自民党と連立を組むという暴挙に出た。

 先の選挙で、民主党が参議院の第一党になったことで、政権交代の可能性がみえてきた。他の野党も民主党に歩み寄る姿勢を見せている。自民党は「年金問題」や「政治と金の問題」で青息吐息であった。

 そんな好機に出てきた発言が、民主党小沢党首による「ISAFへの自衛隊の派遣」である。ISAFは国際治安支援部隊 (International Security Assistance Force)のことで、イラクの治安維持活動よりも危険とされている。

 当然、民主党内にも反対論が多い。小沢は党内でも、まったく議論をせずに、この発言をしたらしい。しかも疑問を呈する党員には「党の考えに従えないのであれば離党しろ」と恫喝した。

 このばかな発言で、政権交代のチャンスはほぼ消えたであろう。たったひとりの愚鈍な政治家のために、日本は二度も政権交代のチャンスを失ったことになる。

2007年10月12日金曜日

スリーナイン

ある研究所の話である。この研究所は官民共同で設立されたもので、新しい試みということで、発足当初はかなりの脚光をあびてマスコミでも大きく取り上げられた。

 官民共同ということは、当然、官庁からの天下りもあり、企業からの天下りもある。いずれ、旧組織では使い物にならないという烙印を押された連中がやってくる。やっかいばらいで、送られてきた半人前なのだ。

 この研究所にT自動車から財務部長が出向してきた。もちろん、T自動車にとっては、やっかいばらいの積もりであったのだろう。ところが、往々にして、こういう連中は勘違いする。何もしなければいいものをはりきって仕事をする。

 出向から一年後、この部長は所長表彰を受ける。研究費の大幅削減に成功した功績である。ところが、この一年間、この研究所では奇妙な現象が起き続ける。それまで世界に誇れるような成果を出してきたのが、突然、研究が停滞してしまったのだ。

 答えは簡単である。この財務部長が研究員に無断で、使用している金属の純度を99.999%から99.9%に変えてしまったのである。もちろん、金属の価格はとてつもなく安くなる。部長は同じ金属だから安いほうがいいと勝手に判断したのだ。

99.999%は9が5個ならぶのでファイブナインという。これは宝物である。しかし、99.9%つまりスリーナインの金属には、どんな不純物が入っているかわからない。当然、不純物は実験結果に悪影響を与える。系統的な実験結果はえられない。

これには、若い研究員たちが怒った。そして、ひとりがT自動車の人事に文句を言いにいった。あの部長はなんだと。結局、この研究員のほうがクビになった。

2007年10月11日木曜日

相見積もり

ある装置を購入しようとする時、仕様を提示して何社かに見積りを提出させ、いちばん安い価格を提示した企業に発注する。限られた予算を有効に使うという観点では当然のことである。

ところが、これには思わぬ落とし穴がある。実績もない企業が受注したいがために、不当に安い価格で入札してくるのだ。何もしらない事務屋は、そこに発注してしまう。

当然のことながら、期日までにものはできない。たとえぎりぎり間に合ったとしても、とても使える代物ではない。責任をとりたくない事務屋は、現場に責任を転嫁する。現場は、どうしようもない装置のために無駄な時間を浪費する。かくして、有効に使おうと思った金はすべて無駄となる。ついでに現場の士気も低下する。

実は、この話は日本だけのことではない。かつてイタリアの公共事業で、同じようなことが頻発してリラが暴落したことがある。当時は、マフィアが暗躍し、国会議員も裏で糸をひいていた。おかげで、イタリアの公共事業ではまともに建物がたたない、道路や橋もできないという事態が起こった。

日本とちがうところは、国民の怒りを背景に検察が国会議員の三分の二を牢獄に入れたことである。

2007年10月10日水曜日

マルチ商法

 昔からねずみ講と呼ばれる詐欺は後を絶たない。マルチ商法とも言われる。手口は簡単で、ある商品の購入で客を紹介すれば謝礼がもらえるという仕組みである。いろいろなパターンがあるが、基本は変わらない。

 いちばん単純な例で考えよう。二人の客を紹介すれば商品がただでもらえるとしよう。最初の客は友人二人を販売元(詐欺の胴元)に紹介する。つぎの二人が同じことをする。すると新たな客は四人になる。日ごとに、この勧誘が行われれば10日後に1024人、20日後に1048576人となり百万人を越える。そして1月後には1073741824人となって10億人を超えるのだ。日本の人口の10倍である。これは、有名なねずみ算と呼ばれる計算で、数が倍々となっていく。

 これが、客を二人ではなく五人紹介するとなれば、たったの12日で日本の人口を超える。商売として成り立つはずがないのである。何度も言われてきているのに、現在でも多くのひとが同じような詐欺にあっている。

 ところで、今度出資法違反容疑で逮捕されそうなL&Gの波会長は、昔、ねずみ講詐欺で捕まっている人物である。円天などというばかげた通貨を編み出し、年利36%の配当をうたって金を集めた。だまされた人達は気の毒であるが、なぜか世間は冷たい。こんな詐欺にひっかるほうがどうかしているというわけである。

2007年10月8日月曜日

児童手当

民主党が児童手当を26000円に増額することを提案している。趣旨そのものは悪くない。少子化が問題になっている日本では、早急の対策が必要である。

しかし、財源をどうするかという問題がある。
国の無駄をなくせば、充当できるとしているが、多くの国の予算は利権の巣窟で、身動きがとれないのが実情であろう。予算にメスを入れようとすれば、民主党の支持組織から反発を食らうに違いない。もちろん、自民党の利権のほうがはるかに大きいから、民主党のほうがまだ見込みがあるのも事実である。

ただし、せっかくの児童手当が有効に活用されないおそれもある。払える余裕があるのに給食費を払わない親が増えている。一説では、児童手当はパチンコ代に消えるのではという指摘もある。

それならば、母子家庭により手厚い手当てを出すべきであろう。分かれた亭主に養育費を払える余裕がないため、最低の生活を余儀なくされていると聞く。手当て欲しさに、離婚が増えるという心配もあるが。

2007年10月4日木曜日

表と裏

 昔の友人のことをふと思い出した。この人は、ある会社をリストラされたのであるが、幸い、その子会社に職をえることができた。とは言っても、以前の会社に比べれば、給与も含めた待遇はみじめなものである。
 しかし、この友人は健気にがんばった。彼の仕事のひとつに親会社に設置している自動販売機の管理があった。みなさんも暑い日の朝に自販機で買ったドリンクが生ぬるくて腹が立った記憶があるだろう。これは、自販機に入れた缶が冷えるまでに時間がかかるからである。
 そこで、この友人は一計を案じた。最初に商品として出てくるドリングを冷蔵庫で冷やしておこうと。そして、ドリンクを補充する担当の部下に指示した。この画期的なアイデアで、この社の自販機は評判になった。
 ところが、これを面白く思わないバカが居た。友人の上司である。自分に無断で余計なことをしたというわけである。「商品を冷やすために余計なコストをかけて会社に迷惑をかけた」と友人を叱責した。
 この友人は辞表をたたきつけた。その後、彼がどうなったかは知らない。分かっているのは、この上司が画期的なアイデアを出したということで社長表彰を受けたことだけだ。
 もうすぐノーベル賞が発表になる。それが、本人の成果であることを祈るばかりである。

2007年10月2日火曜日

MRI有罪判決

MRIという装置をご存知だろうか。Magnetic resonance imagerの略で、解剖せずに人体内部を観察できる装置ある。一台一億円以上と高価であるが、解像度がすぐれているため、病院は競うように導入している。

この装置は、磁場強度が大きいほど感度がいいため、磁場源として超伝導マグネットが使われる。残念ながら、超伝導を利用するためには極低温まで冷やさなければならない。

いまのMRI装置は液体ヘリウムを冷媒として使っている。その沸点はわずか絶対温度で4度である。氷点下296度という低温である。こんな低温を保持するのは並大抵ではない。

ところで、液体ヘリウムは、絶対温度4度よりも高くなると気体になる。まわりの温度が高ければ、いっきにガス化する。ご存知のように、液体が気体になれば体積はいっきに何百倍になる。

その圧力は生半可ではない。金属の容器さえ突き破る。だから、安全策はいろいろととられている。このガス化が原因で、MRI装置が爆発し、8名の病院関係者がけがをした事故があった。テレビでも大きく報道されたので知っている方もいるだろう。

実は、この事故で、この装置の管理をまかされていた技術者が告訴されたのである。一審では無罪であったが、控訴審で有罪となった。いわく、専門の技術者であれば、知識が十分あったはずであるという判決理由である。

今回の例に限らず、裁判に科学知識が要求されるケースが増えている。しかし、経験者として言わせてもらえば、どんなに熟練者であっても、すべてのケアをすることはできない。

一度、検察官と裁判官に液体ヘリウムを取り扱わせれば、どれほど大変かとうことを実感するのであろうが、それは残念ながらできない。しかし、弁護士は何をやっていたのだろうか。そうか、弁護士も理系オンチであった。
有罪となった技術者には、お気の毒と言うしかない。

2007年9月30日日曜日

郵政民営化

郵便公社が民営化される。新聞は、地方の簡易郵便局が閉鎖されるとして、地方切り捨てと非難している。
しかし、そもそも非効率きまわりない郵便局の運営や、郵貯の金が財政投融資などを通して特殊法人に湯水のごとく使われ、国の隠れ借金をつくってきたことが問題ではなかったか。
さらに思い出すのは、渡切費(わたしきりひ)というとんでもない金の存在である。これは、その名の通り、領収書の不要な金で、なんと、年間900億円が特定郵便局長に垂れ流しされていたのだ。その一部は自民党に還流されていた。
こういう負の面を清算するのが民営化であったはずだ。だから、国民も小泉さんを支持したのだ。それを忘れてはならない。

2007年9月29日土曜日

17歳の死

 相撲部屋に弟子入りした若者が、拷問で殺された事件は何とも悲しく、また、くやしい事件である。拷問のことを「かわいがり」と呼ぶ相撲界の醜さには言葉がない。過去にも20人が同様の死に方をしているという。それが隠蔽されてきたのだから、相撲界の闇は深い。

 ただし、陰湿な体質は、日本の他のスポーツ界にも蔓延している。指導と称した「いじめ」は、すべてのスポーツに共通だ。いや体育会系と呼ばれる運動部に共通と言った方がよいかもしれない。
 このような陰湿さはアメリカにはない。日本では、先輩の権力は絶対である。確かに、年上を敬うという行為は大切と思うが、それを逆手にとって、年上ならば何をしても構わないという考えはいびつである。きちがいに刃物を持たせるのも同然だ。
 バレーボールのエースが年下というだけで、補欠の年長者の洗濯をすべてやらされていたと暴露したことがあるが、これではオリンピックで勝てるわけがない。アメリカでは年齢は関係ない。あくまでも実力主義である。

 もうひとつのきがかりは、その非科学的な体質だ。そのおかげで、日本では有為な若者が才能をつみとられている。ヨーロッパの体操界がハイテクを導入して安全に気をつけながら練習をしている一方で、日本では「根性」を旗印に、危険覚悟の練習でけがをさせていたことは有名である。その間、日本はオリンピックで負け続けた。

 「うさぎ跳び」や「亀」と呼ばれる拷問まがいの練習で腰を痛め、前途を絶たれた野球選手やサッカー選手も過去には大勢いた。一流選手でも後遺症に悩んでいるものも多い。

 アメリカに渡った日本のプロゴルファーが、平気でたばこを吸っているのを見ると情けなくなる。あれでは、勝てるわけがない。そう言えば、拷問死した17歳の足には、たばこの火をつけられた痕がいくつもあったという。

2007年9月28日金曜日

バラマキに期待?

福田新政権の支持率が60%に達する勢いである。政党別支持率でも自民党が民主党を上回った。いわく、重厚な陣容で期待感があるという。ところが、本音は旧い自民党の顔ぶれがそろったので、かつてのバラマキに期待しているというのだ。情けない話である。
前にも書いたが、バラマキ政策のツケで、いまや国民ひとりあたりの借金は、国と地方をあわせると、1500万円である。四人家族では6000万円にもなる。こんな大金を誰が返せるのだろうか。しかも、借金のための利子を払うだけで新しい借金となる国債をどんどん発行している。
こんな異常な状態が長続きするわけがない。いずれ破綻がやってくる。いくらバラマキを期待しても、無い袖は振れないのである。A man cannot give what he hasn’t got..

2007年9月27日木曜日

科学技術振興機構

 天下り規制法案を通した渡辺行革大臣は、福田内閣では真っ先にクビかと思っていたが、なぜか留任となった。それはよかったと思っていたら、驚く記事が新聞に載った。
「不必要な独立行政法人はどんどんリストラする。廃止予定は2法人」
それはいいことである。しかし、驚いたことに、廃止予定の法人のひとつに科学技術振興機構が入っているのだ。この法人は、研究開発関連の予算を大学などに補助している組織である。他にも同様な組織があるからという理由からかもしれないが、いやしくも科学技術創造立国を標榜しているのだ。そう簡単に廃止してよいのだろうか。
この組織は、文部科学省所管であるが、実は、天下りの理事は、ほとんどが旧科技庁出身者である。うがった見方をすれば、文部科学省が自分達のテリトリーではないと見限ったともいえる。もっと、無駄な法人は山ほどあると思うのだが。

2007年9月22日土曜日

1円の領収書

現在、国会では政治収支報告書に添付する領収書の額を何円以上にするかで議論している。このような議論そのものが驚きである。しかも、添付する領収書はコピーでよいというのだからあいた口がふさがらない。
領収書は原本を、しかも予算などに計上するならば必ず領収書添付というのが一般常識である。確定申告で5万円以下の領収書は不必要となったら、国の税金収入はいっきに半減するだろう。いや、もっとひどい状態になるかもしれない。
自民党の政治家は
「誰が1円の領収書なんかを発行してくれますか」
と開き直っているが、その程度の金なら自腹をきるというのが一般常識である。
「冠婚葬祭の金がばかにならない」
という発言など論外であろう。
5万円以下の領収書は不要などという常識外のことを、まともな顔で議論するから国民はしらけているのである。
しかし驚いたのはIという政治評論家までが
「1円の領収書なんて現実にはありえないことを議論しているから民主党はだめなんだ」と発言していたことだ。評論家のレベルまで低い。何をか言わんやである。

2007年9月20日木曜日

人間いたるところ青山あり

最初の人間は「じんかん」と読む。しかし、最近では「にんげん」と呼ぶことの方が一般的なようだ。青山(せいざん)とは、骨を埋めるところという意味である。「世界は広い。自分の生まれ育った狭い世界だけがすべてではない」と解釈してもよいだろう。もちろん、別の解釈もある。

こんな漢詩の一節を出してきたのにはわけがある。博士問題である。最近では、毎年15000人の新卒の博士が誕生している。その中で、定職につけるのは20%程度に過ぎない。残りは、ポスドクと呼ばれる非常勤の職員など不安定な職につくしかない。さらに無職が8%あり、その他に行方不明者が8%ある。この中には、自殺者も多数含まれているという。

本来は社会のエリートであるはずの博士が、日本では活かされていないのだ。もちろん、制度上の問題もある。博士号を持っていない教授が日本にはあふれている。さらに、日本には人格破綻者としか思われない教授がたくさんいる。彼らは、どんなに怠けていても定年まで職を失われることはない。 このため、大学の職をめざしても、博士にチャンスはなかなかめぐってこないのである。

残念なことに、誰もこの状況を変えることはできない。もちろん、変えようと思っている人は大学にもたくさんいるし、文科省の中にもいる。ただし、多勢に無勢である。急に好転することはない。とすれば、博士が自分の考えを変えるしかない。

いろいろな分野にチャレンジする。この気概が必要である。

2007年9月17日月曜日

海外サギ2

海外サギのパターンはいろいろあるが、お涙頂戴の内容で、だまされるケースもある。
「わたしは、南米の○○という国の大金持ちである。資産は一兆円をくだらない。いままでの自分の人生は、金儲けだけのために費やしてきた。そのために、麻薬取引きなどに手をだしたこともある。
 しかし、つい最近、自分の余命が半年であることを知った。自分の体はがんにおかされており、助かる見込みはない。この時になって、はじめて自分の業の深さに気づかされた。金儲けのために、どれだけひどいことをやってきたか。そして思った。自分の資産は、困ったひとたちのために役立ててもらおうと。
 ところが、自分が、資産を全部慈善事業に寄付すると言い出したら、親戚がこぞって反対しだした。彼らは、なんとも欲深い人間である。このまま、自分が死んでしまえば、すべての金は彼らに持っていかれるだろう。
 そこで、あなたにお願いがある。私の資産を、あなたの銀行口座に振り込ませてもらえないだろうか。そして、○十字に寄付してほしい。もちろん、あなたには相応の手数料を支払う」

そして、もらえる手数料の額はばかにならない。これでだまされる。情に訴えている分始末が悪い。自分が善行に協力しているのだ。こんな言い訳を自分にできる。

考えて欲しい。世の中、苦労せずに簡単に金儲けをする方法などないのだ。もちろん思わぬ収入を得る人もいる。しかし、その多くのひとは不幸になっているという。

2007年9月16日日曜日

海外のサギ1

 インターネットや電子メールの進展には、目をみはるものがある。一昔前であれば、海外に出かけていかなければもらえなかった情報が瞬時にして手に入る。そのかわり、原稿の締め切りをごまかせなくなったという弊害もある。「とっくに出したんだが、郵便事情が悪くて、原稿が届いていないようだ」などという言い訳はもはや通用しない。

 ところで電子メールの発達で、多くの日本人がさぎにあっているのも事実だ。だまされるほうが、どうかしているというものが多いが、人間の心理をついた功名なものもある。いくつか紹介しよう。

 まず、買ってもいない宝くじに当選したというあきらかに怪しげなものがある。いきなり、仰々しく“CONGRATULATIONS!!!”とあり、内容をみると「あなたは1000万円のくじに当選した」と書いてある。くじを買ってもないのに不思議に思っていると、これは世界で登録されているメールアドレスをもとに、その会社が勝手に当選者を選んだというのだ。

 その理由についてはいろいろ書かれているが、たとえば、「新しくインターネットで宝くじを購入する会社を立ち上げたので、その広報のために、記念イベントとして世界を相手に無料の宝くじを行っている」などと説明が書いてある。いかにもあやしげだが、どうやら、こんなみえみえの詐欺にひっかかる日本人が多いらしい。

 「2週間以内に返信しないと、あなたの当選権は失われる」などと書かれていると、ついつい返信してしまう。そして、「金を振り込みたいので教えてほしい」などと言われて、相手のいうがままに自分の銀行口座などの情報を与えてしまう。気づくと、身ぐるみはがされてしまっているという寸法である。

 もっと長文の詐欺メールもある。だいだい、差出人の国は政情不安なアフリカや南米の国である。
「わたしは、いま政情が不安定なアフリカの○○という国にいる。事業で大変な大金持ちとなったが、国の指導者が変わると、資産を凍結されてしまう虞れがある。そこで、日本の銀行を通して、資産を安心して預けられる国に送金したい」

 そして、本人の資産として100億円などという途方もない金額が書かれている。ものすごい金額であるが、海外には、この程度の金を持っている人間は結構いるだろう。そしてメールは続く。
「そのために、信頼できるあなたの銀行口座を中継口座として利用させていただきたい。謝礼として送金総額の3%を支払う」
というものである。「信頼できる」という情報をどうやって入手したかは疑問が残るが、いろいろな人名録などをもとにメールを送っているようなので、受け取った人間は、少し優越感を覚えるかもしれない。
 「送金総額の3%?」これは、少ないように感じるが、金額にすればなんと3億円である。ただ、口座を一瞬貸すだけで、これだけの金が入るのだ。こんなおいしい話はない。

 ただし、ほとんどのひとは「そんなうまい話があるわけがない」と思って詐欺のにおいをかぎつける。しかし、なかには「口座を貸すだけなら自分は損しないだろう」と思ってしまう人も居る。そして、自分の口座番号を教えてしまい、そのすべてを引き出されてしまうのである。
もちろん「新しい口座を開けばいいだろう」と考えて、現金のほとんど入っていない口座をつくるひともいる。これならば被害にあわないというわけである。賢い方法と褒めてあげたいが、先方も一筋縄ではいかない。海千山千の詐欺師である。
いろいろとやり取りがあったあと、いざ振り込むという段になる。
「いまから100億円の金を振り込む」という連絡がくる。金はいったん、日本の口座に入ったあと、3%の金だけ残して、残りは自動的に海外に送金されるという。むろん依存はない。当然、その手続きも承諾もすることになる。
しかし、いくら待っても送金がない。「どうしたんだろう」といらいらして待っていると、口座の残高が少なすぎて送金を拒否されたという連絡がくる。「少なくとも300万円の残高がないと送れない。至急、口座に金を入れて欲しい」という依頼だ。
ここで、踏みとどまれば、詐欺にはあわないのであるが、緊急である。自分の口座から金を下ろして、あわてて振り込む。これで「3億円が自分のものになる」という期待で胸を膨らまして。
 しかし、それ以降はなぜか連絡が途絶えてしまう。不思議に思って、翌日、銀行口座を確認しにいくと、空になっている。見事300万円は消えている。銀行に文句をいっても始まらない。何しろ、海外送金を承諾しているのだ。
 この手の詐欺のパターンは同じである。何とか、口座番号を聞き出すことと、そして口座に、ある程度の預金をさせておくことである。

2007年9月15日土曜日

天下り

公務員を辞めた後に、関連の団体や企業に再就職し、数年務めただけで大枚の退職金をもらって、つぎの組織に移っていく。ひとによっては数億円の退職金をせしめるものもいる。一般の庶民からはとても許せない(というよりは、うらやましい)所業、これが天下りである。

 これに対し、当事者の官僚たちは、天下りは当然のことと思っているようだ。自分たちは庶民よりもはるかに優秀なのに、安い給料でこきつかわれてきた。キャリアの最後に、ごほうびが待っているのは当然であろう。これが、彼らの主張である。

さらに、おいしい天下りという制度がなくなれば、優秀な人間は誰も官僚にはならないという脅しともとれる言辞を弄する。そういう使命感のない人は官僚になって欲しくないのだが、どうやら国のために働くという感覚は彼らにはないらしい。

天下りに関する問題はいろいろあるが、官僚が天下りのためだけの組織をつくり、そこに税金から巨額の補助金が不必要に流れていることがまず大問題である。中には、常勤がひとりしかいないにも関わらず何億円という補助金をもらい、天下りを十人以上も雇っている公益法人もある。公益という枕詞がむなしく響く。

おそらく不必要な法人をつぶすだけで、国の借金はかなり減るだろう。ある法人(石油関係)に出向した銀行員は驚く場面を目にしたという。そこの金庫には、現金がうなっていて、役所からの出向者が現金の束をつかんで夜の街に流れていくというのである。ある時など、国会議員がやってきて金の無心をしていったという。

 さらに、まともな事業をやっている団体にも天下りが来て、組織の運営を撹乱している。「小人閑居して不善をなす」という俚諺があるが、天下りは、まさにその通りのことをしている。

これは、ある公益法人の話である。新任の常務理事が、突然、昼休みに職場を回りだした。何をするかと思ったら、電気を消してまわって歩くのである。職員が仕事をしていようがお構いなしである。職員は驚いたようだが、このばか常務は得意気だったらしい。

実は、電気料金の節約をとなえているのだ。「国民の大切な税金を補助金として受け取っている組織としては当然のことである」というのが彼の主張であった。しかし、昼休みとはいえ、職員は仕事をしているのである。暇をもてあましている天下り君とは違うのだ。

それに、そんなケチくさいことをするよりも、役立たずの天下りをやめさせた方がはるかに金は浮くし、効率的である。何しろ、年に1500万円以上の給料をさらっていくのだ。しかも、退職金もばかにならない。

 ところで、天下りの退職金が高いのにはからくりがある。普通の民間人は、退職金は就労年数を基準にして退職金を算出する。つまり
退職金 = 最終月の給料 × 就労年数
となるが、天下りの役員は就労月数を基準にする。よって
退職金 = 最終月の給料 × 就労月数
という計算式となる。2年いただけで、普通の従業員が24年間働いたのと同じ額の退職金を手にするのだ。しかも、お手盛りで、最終月の給料を勝手に上げてしまう。昼休みに電気を消して回ったばかなど、退職直前に自分の給料を10万円も増やしたらしい。それだけで退職金は240万円のアップである。
 
実は、この常務に、あまりにも給料が安いので何とかして欲しいと直訴した嘱託の女性がいた。すると天下り君は「辞めたければ辞めてくれ。あなたのかわりはいくらでもいる」と言ったそうだ。かわいそうに、彼女の年収はわずか180万円程度であった。正直のところ、この女性こそが、組織にとっては不可欠の存在であり、天下りの常務など、いくらでもかわりがいる。いや、かわりという言い方には語弊がある。不必要というのが正しい。まあ、それが分かる人間ならば、若くして天下りなどさせられないのだろう。

しかも、この天下り君は「おれの女になってくれれば、給料を上げてやってもいいよ」と言ったらしい。あきれた彼女は、即刻、辞表を出したそうだ。ところが、それを不快に思った常務は、彼女のつぎの職場に電話をかけて「あの女はトラブルメーカーだからクビにしろ」と言ったらしい。世も末である。

 役所から天下ってくる連中は、役所では使いものにならないという烙印を押されたものたちである。だから、人間的にも最低であるし、仕事をさせてもまともにできるものなどいない。それが組織の長としてやってくるのであるから、職員の士気は下がる一方である。
 
 おそらく、天下り制度を廃止したら、国の借金はいっきに減るだろう。しかし、それを強行しようとした総理大臣は失脚させられた。どうやら、多くの国民は天下り制度を是としているようだ。

もうすぐ、国民ひとりあたりの借金は1000万円になる。生まれたばかりの赤ん坊がいきなり大きな借金をかかえているのだ。それが日本である。

注) 実は、地方の借金や、独立行政法人などが抱えている表に出ていない借金をあわせると、すでに国民ひとりあたりの金額は1500万円を超えているという情報もある。

2007年9月14日金曜日

ああ安部さん

ついに安部首相が辞任することとなった。一年前に颯爽と登場し、就任直後は支持率も高かったが、あいつぐ大臣の不正発覚によって、求心力を失った。さらに年金問題も彼の足を引っ張った。残念である。

というのも、彼は、自民党には珍しく、改革を進めようとしていた数少ない政治家だからだ。特に、守旧派の反対で廃案になりかけた「天下り規制法案」を強引に成立させたときには拍手喝采を送った。しかし、これが虎の尾を踏んだのではないかと言われている。

天下りは官僚にとっては決して失ってはならない利権である。そこに安部さんが土足で踏みこんだのだ。このままではまずいという危機感から、役人がこぞって首相退陣を画策したという噂がある。積極的にマスコミに不利な情報を流し、安部たたきを行った。それが今回の辞任につながった。

これが事実とすると、今後誰が首相になっても官僚の天下りを規制する法案など通すことはないであろう。もともと、多くの政治家にとって、官僚の天下りなどどうでもいいことだからだ。自分たちの利権さえ守れるのならば、国の将来などどうなってもよい。それが彼らの本音である。

こんな時こそ、民主党に期待したいが、参院選をみる限り、かつての自民党のばらまき政策を掲げて平気な顔をしている。情けない。国民がばかといえば、それまでだが、これでは国の借金を減らすどころか、どんどん増えていくばかりであろう。

さらにいえば、年金問題は、安部政権の責任ではない。過去に与党と野党の政治家や年金官僚が、そろって年金にたかってきたというのが真相である。糾弾されるべきは彼らである。

ただし、ひとつの党が、これだけ政権与党についてきたという歴史は他の国にはない。官僚や政治家の利権を一掃するためにも、政権交代はぜひ必要である。安部さんの退陣を機に政権交代が起これば一興かもしれない。

実は、過去に一度だけそのチャンスがあった。わずかの間だが自民党が野に下ったこともある。その時は、小沢さんの強引なやり方が裏目に出て、社会党が自民党と連立を組むという暴挙に出た。そして、自民党はみごと与党に復帰したのである。一方、社会党は、党から首相を出すという歴史的な快挙(?)を達成したが、直後に壊滅した。あの時、自民党が与党に復帰しなければ、今の日本はどうなっていただろうか。

それにしても、いつも思うのは、国民もマスコミも物事の表層しか見ていないということである。マスコミの場合には、確信犯であえて真相を韜晦しているところはある。国民は、それに気づかないといけないはずなのに、結局だまされる。

いちばんの心配は、かつての守旧派が日本の政治を再び席巻することだ。案外、国民もマスコミもそれを願っているのかもしれない。しかし、それでは、日本の将来は暗い。そして、そのツケを払わされるのは、子供たちである。

2007年9月10日月曜日

正規分布ふたたび

正規分布の話をブログに書いたら、「本当にそうならば、世の中あまりにも希望がないのでは」と言われた。少し反省している。何も世の中をあきらめろというつもりで書いたわけではない。事実を事実として認識すべきと言いたかっただけである。そうすれば、変な失敗をすることもない。

言いたいことは、ある職業についている人の20%はすぐれているが、それ以外のひとは、その仕事に向いていないということである。ただし、それでも、残り60%のひとは、それなりに頑張っている。本当にだめなのは20%しかいない。そう考えたらどうだろう。どうしようもないのは五人にひとり。まわりを見渡せば、納得いくだろう。

世間から蛇蝎のごとく嫌われている社保庁にもあてはまる。全員がダメ人間ではない。中には、立派なひともいたはずなのだ。「このままではだめだ。がんばろう」と努力した人もいたに違いない。しかし、悪貨は良貨を駆逐する。これも世のならいである。

正規分布の話は、政治家にもあてはまる。ただし、日本の政治家の場合、正規分布とは言っても、もともとのレベルが低すぎるという指摘もある。しようがない。選ばれてくる人間の基準は、いかに利益を自分たちにもたらしてくれるかである。選ぶ方にも責任がある。そのために、国民ひとりあたりの借金が一千万円を越えようと知ったことではない。

重要なことは、ひとの能力が正規分布しているという認識を持っていれば、他人に対して過剰の期待を持たずに済むということである。「きっと、みんなも分かってくれるはずだ」という甘い考えは世間では通用しないことも分かるはずだ。

ただし、ある能力が劣っているからといって、その人間がすべてダメという訳ではないことも言っておく必要があろう。ひとには、向き不向きがある。もっと自分にふさわしい仕事があるかもしれないのだ。そういう意味では、天職を見つけられたひとは幸運だったということであろう。

ところで、統計的には、ひとは自分に対する評価をかなり良い方にシフトしているそうだ。だから、自己分析には注意が必要である。自分が思うほど、他人は評価していない。このことを常に肝に銘じておくべきであろう。

ふと思った。自分がついている大学教授という職は天職なのであろうか。うなずこうとして反省した。自己評価を信じてはいけない。

事実は小説より...

アカデミックハザードの読者から、小説は面白く読ませてもらったが、現実はそんなに甘くないのではという意見を頂戴した。

 被害者が全員アメリカに逃れて、最後はハッピーエンドになるというストーリーは、あまりにも安易すぎるというのである。現実の世界では、白井のような人間がのさばり、加治や長井はアカデミアから追放されてしまう。そんな現実をたくさん見てきたと読者はいう。

 同感である。しかし、それでは、あまりにも切ないのではなかろうか。せめて小説の中ぐらいは、ハッピーエンドで終わりたい。これが本音である。

 それと、アメリカがそんなによいのかという意見もあった。確かに、アメリカにもアカデミックハザードはあるし、人種差別も厳然としてある。よって、アメリカの大学が天国というわけではけっしてない。

 ただし、日本と比較すれば、アメリカの大学の方が数段上であることは確かである。これは、アメリカの大学がすでに国際社会に開放されているということが背景にある。

 最近、優秀な高校生が日本の大学を選ばずに、アメリカやヨーロッパの大学に直接進学するケースが増えている。現状を知っているということだろう。

2007年9月7日金曜日

正規分布

 統計学によれば、標本数が30個以上あれば、その分布は正規分布と呼ばれる分布に従うことが知られている。

 正規分布というのは、もともとは誤差の分布のことである。例えば、30人のクラスの生徒に、10cmの長さに紙を切りなさいと命じる。すると、ぴったり10cmというひとは少なく、長かったり、短かったりする。この時、10cmからの誤差をグラフにすると、誤差0cmを中心にして、つり鐘型の分布となる。これが、ごく当たり前の分布ということで英語ではnormal distributionと呼ぶ。normalつまり、ごく普通の分布という訳である。日本語では、normalという英語を仰々しく「正規」と訳してしまった。

 この分布は、いろいろなものに当てはまる。例えば、医者の技量の分布である。30人以上医者がいれば、この分布になる。簡単のために100人としよう。すると、いわゆる可もなく不可もなくというところが60人程度いる。一方、優れた名医と呼ばれるひとは5人くらいしかいない。同様に、どうしようもないひどい医者も5人いることになる。のこりの30人のうち、15人はどちらかというと医者として相応しいひと、15人は相応しくないひとということになる。

 運悪くひどい医者にあたったひとには気の毒というほかない。しかし、医者の場合はなんとかなる。なにしろ、人間の病気に対する自然治癒能力は85%以上とされている。つまり、何も処方しなければ、病気は治るのである。風邪の患者に栄養剤でも注射しておけば、医者の誤診もないし、患者もハッピーである。

 しかし、こううまくいかない世界もある。例えば大学だ。放って置けば学生が勝手に勉強するということにはならない。(昔の大学はそうであったが)。大学教授の場合も、100人いれば、5人は教授として立派なひとということになる。つぎの15人をあわせると、合格点があげられるのは20人程度しかいない。残りの80人は、できれば自分のゼミの指導教員にはなって欲しくないひとということになる。世の中は、運の悪い学生であふれているのだ。

 さらに具合が悪いことに、大学の方針は教授会が決めることになっている。多数決の原理からいえば、大学教授としてふさわしくない人間が方針を決定することになる。けだし、よい方向に大学改革が進むはずがないのである。

2007年9月5日水曜日

立って半畳寝て一畳

 この言葉は物欲の限界を示した言葉として印象に残っている。どんなに贅沢な暮らしをしていても、所詮、人間が生活するのに必要なスペースは、立って畳半分、寝ても、畳一枚分しかないという意味である。

 広さが1万坪を越す豪邸に住んでいようが、自分が占めることのできる面積は、たかだか、畳一枚程度である。世の中での成功を、いかに財を成し、地位を高めるかと考えているひとも多いが、ひとりの人間が抱え込める財産などたかが知れているのである。

 実は、この言葉の後に「天下とっても二合半」という語が続く。自分が天下を支配したとしても、一食で食べられるごはんの量はせいぜい二合半であるということを言っている。人が生活するためには、それで十分なのである。下手に贅沢な食事をすれば、健康を害して寿命を縮めるだけである。

 ただし、私は、さらに、この後に次の言葉をつけている。それは「頭の中は無限大」という言葉である。確かに、財産は物でしかないとみなせば限界はある。しかし、財産はけっして物だけではない。人間の中に蓄えられる知恵と知識、それこそが最も大切なものであり、しかも、その大きさは無限大である。

 つまり、人間、物事を学ぶということに対しては、無限大の包容力を持っているのである。そして、知識を蓄えるということによって、より豊かな人生が開けるものなのである。

2007年8月31日金曜日

理系白書

理系白書という本があるのをご存知であろうか。
講談社から発行されている良書である。
文系の王国日本で全く顧みられることのなかった理系の問題にはじめて深く切り込んだ渾身のレポートとある。
個人的には、理系人間への応援歌と受け止めているが、実は、理工系の大学にとってはいささか困惑した結果をもたらす本でもあるのだ。

本には、理系の悲惨さが、これでもか、これでもかと紹介される。
政財界のトップは文系が独占。
官僚のトップはすべて文系で、理系は技官とよばれ出世は局長どまり。
生涯賃金は文系よりも理系の方が5000万円少ない。
などである。
この本を読んだ政治家が「これでは日本の将来はあやうい。なんとか対策を講じよう」と思ってくれればよいのであるが、そんな様子は微塵もみえない。

それよりも、世の親たちが
「そうなのか。それでは、自分の子供を理系に進ませるのはよそう」
と思ってしまうのが先である。そのせいかどうかは分からないが、理工系への進学希望者は年々減っている。工学部でみると、過去10年で志望者は半減してしまった。理系出身者の悲惨な現状を伝えることは、理工系大学志望者を減らすという結果をまねいているのである。


ここで、理工系大学の教授としてあえてコメントしたい。
わたしは理系に進んで損をしたと思ったことは一度もないし、進路を聞かれたら、ぜひ理系に進みなさいと自信を持って言える。
ふと、理系に進学した学生はどう考えているのかと思い、アンケートをとってみた。
「理系は文系に比べて損をしていると世の中で言われているが、あなたはどう思うか」
すると意外な結果が出た。
そのとおりと答えた学生はほとんどいなかったのである。
むしろ
「実験やレポートが大変ではあるが、それだけ力がついていると思う」
「大学で遊びたいとは思わない」
「損をしたと言っているひとたちは、自分が成功しなかったことへの免罪符にしているのでは」
などの意見が大半をしめた。世の中捨てたものではない。
その後、学生の父母と懇談する機会があった。すると、こんな意見が出た。
「理系は大学で遊べないので社交性にかけるのではないか」
「理系はつぶしがきかないと言われているので会社で冷遇されるのではないかと心配だ」
親が子を心配するのは当たり前である。しかも、世の中では理系は損をしていると喧伝されている。

わたしはこう言った。
「心配しないで下さい。お子さんたちは、社会で立派に活躍できます」と。

マイナスイオン

科学が進歩したと言われているが、いまだに科学の名を騙ったあやしげな商品がちまたにあふれている。
昔、巣鴨商店街を歩いていたらタキオン入りの靴下が売られていた。
タキオンとは光速よりも速い粒子のことである。たしか、みずむしに効くという宣伝文句で売られていたが、これは可愛いほうだろう。タキオンが発見されたらノーベル賞ものである。それが屋台の靴下に閉じ込められているのであるから、ユーモアと受け取った方がよいのかもしれない。
最近、気にかかるのはマイナスイオンをうたった商品である。いわくマイナスイオンを発生する乾燥機やドライヤーなど、ちまたにあふれている。驚くのは、これら商品を売っているのが有名電機メーカーということだ。
明らかな詐欺ということが分からないのだろうか。
そもそもマイナスイオンとは、どの元素のイオンなのか分からない。
それに、マイナスイオンが発生するということは、どこかにプラスの電荷が集まらなければならない。まさに静電気を発生させるようなものである。体によいわけがない。
嘆かわしいというよりも情けなくなる話である。

2007年8月28日火曜日

常に考えて生きていきたい

生きているのならば、ただ漫然と毎日を過ごすのではなく、常に考えて生きていきたい。