2010年2月15日月曜日

モーグルのルール変更に思う

 オリンピック女子モーグルで上村愛子は4位に終わった。本人は全力を出しつくして満足と言っているが、内心はくやしい思いもあるだろう。それにしても、いつもながら、オリンピック前のルール変更には腹が立つ。

 昨シーズン、ターンに磨きをかけた上村はワールドカップで日本女子初の総合優勝を飾った。それまでもモーグルのルールに彼女は泣かされてきたが、オリンピックでメダルをとるために、努力して得た技であった。

 しかし、直前になって外国人選手に有利になるようなルール変更が、ターンでなされたのである。世界最高のターン技術、上村にしかできないテクニックと言われたものが、意味をなさなくなってしまった。本人には驚きとあせりがあったであろう。気丈にも、影響はないと言っていたが、トップ選手にとってルール変更は致命的である。今シーズンは、そのせいで不調であった。

 同様の理不尽なルール変更は、他の競技でも過去にあった。スキーのジャンプ、ノルディック複合など、日本人選手が金メダルをとったり、あるいは金メダルをとりそうになると、必ずルールが変更されてきた。

 イエローには首位の座は渡したくないという心理もあるのであろうが、ルールを決める場での日本人の発言力のなさも指摘されている。大事な会議に物見遊山で出かけ、あげくにファーストクラスに自分の家族を同行させる。日本のスポーツ界の幹部には、この手の輩が多い。

 ウィンタースポーツを支援してきた企業が経営不振に陥ったことが日本のスポーツ低迷の原因とされているが、スポーツに対する国の支援体制の不備も問題であろう。金があっても、選手の育成に有効に使われていないからだ。役員よりも選手に金をかける。これが基本である。

2010年2月12日金曜日

法科大学院の悲劇

 詐欺と言われても仕方がないであろう。法科大学院のことである。大学によっては、司法試験の合格率がたったの2%である。聞けば、50人受けて1人しか受からなかったという。これでは、何のための法科大学院かは分からない。

 そもそも、法科大学院の修了者の8割以上は司法試験に合格するというのが当初の目論見であったはずだ。そのため、会社を辞めて、学費を借金してまで大学院を目指した社会人もいたと聞く。これでは、人生設計が狂ってしまうだろう。

 合格しなかったのは本人の自己責任と言われれば、それまでではあるが、今の現状はひどすぎる。もともと文科省の制度設計に問題があるし、それに安易に乗った大学の責任もある。司法試験の予備校の教員をそっくりそのまま教授として招聘した大学もあったと聞く。何をかいわんやである。

 大学院というからには、司法試験の予備校であっては困るはずだ。だからと言って、試験対策をおろそかにしていたのでは試験合格は望めない。とは言っても、法学の教授は、司法試験に合格するテクニックなど教えられない。最初から無理な制度であったのである。

 法科大学院に限らず、文科省がやることには首を傾げざるをえない事業が多すぎる。そういえば、ポスドク10000人計画という制度のおかげで、フリーターの博士が増えている。それでいて誰も責任をとらないのだから始末におえない。

 これからは、日本の教育には自己防衛しかない。

2010年2月4日木曜日

日航財団

 ニュースで、会社更生法による再建を目指している日本航空の西松前社長が系列の財団の理事長になるという記事が出ていた。無報酬という。西松社長は、米国の大企業のCEOが巨額の報酬をむさぼっている中で、薄給に甘んじ、しかも質素な生活をしているということで、マスコミにも取り上げられた。本人の責任ばかりではないとはいえ、薄給で頑張っていながら会社をつぶしてしまったのでは元の木阿弥であろう。

 しかし、それよりも驚いたのは、危機に瀕している会社が、このような財団を持っていたという事実である。もちろん、大企業はどこでも同じような組織を抱えている。いずれ、整理されていくのだろうが、日本の企業はどうして、こういう財団を持ちたがるのだろうか。理事もほとんどが有名人ばかりである。

 興味があるので、ホームページを覗いてみた。すると、その設立目的につぎのようなことが書かれている。

「航空によってもたらされつつある新たな地球的規模の文明社会(以下「航空文明社会」という)の発展に関する事業、航空文明社会において地球的規模で考え行動できる人材(以下「地球人」という)の育成と交流に関する事業などを通じて、人類の発展と文明との調和を図り、もって豊かで平和な社会の実現に貢献するとともに航空の発展に寄与することを目的とする」

 抽象的でよく分からない。そこで、より具体的な事業を参照すると
1.海外有識者との知識交流等、航空文明社会における地球人の育成と交流を推進する事業2.日本の文化の海外紹介等、国際理解及び国際交流を推進する事業3.航空文明社会の発展を推進するための調査・研究並びにその成果を実現するための事業4.その他この法人の目的を達成するために必要な事業
となっている。

 この財団が、これら使命を果たすかどうかの議論は別として、常勤の理事がふたりおり、その役員報酬が1600万円とある。その他の手当ても出ているのだろう。そう考えると、常勤理事のための財団とも思える。世の中には、このような法人が山のようにある。

2010年2月3日水曜日

電気自動車はエコ?

 最近、大手自動車販売各社がこぞって電気自動車の開発に乗り出している。CO2を排出しない究極のエコカーという触れ込みであるが、果たしてそうだろうか。以前にも指摘したが、電気自動車がエコかどうかを判断するには、より広い視野にたった展望が必要である。

 まず、電気自動車は大きな電池を積んでいるという事実に目を向ける必要がある。走行距離を稼ごうとすれば、それだけ電池は大きくなるが、その分重量が増し、効率は確実に悪くなる。

 つぎに、燃料としての電気の問題がある。家庭で充電できるというが、その電気は発電所でつくられる。もし、その電力を火力発電に頼るのであれば、石油を燃やして電気をつくっていることになり、直接ガソリンで走行する車よりも効率ははるかに劣ってしまう。なにより、電気をつくる時点でCO2を排出することになる。

 さらに問題となるのは電池の寿命である。繰り返し充電や、リサイクルと言っているが、化学反応を利用している電池の寿命は意外と短い。使い終わった自動車用電池が大量に廃棄され、自然を汚しているということがかつて大問題になった。米国、カリフォルニア州では車載用電池の使用を禁止する法案が議会に提出されたくらいである。それにも関わらず、エコの旗印のもと、巨大な電池を大量生産しようとしている。

 以前、鉛電池を使った実験で失敗したことがある。寿命が4年とあったので、2年しかたっていないから大丈夫と思っていたら、知らないうちに電池が消耗していたのである。そのおかげで、大事な実験は失敗に終わった。人の安全が関わる車では、うっかりミスは許されない。

 前にも書いたが、自動車に乗ること自体がエコではない。ガソリン自動車を電気自動車に乗り換えたから、自分はエコに貢献しているなどという考えは間違っているのである。