2008年5月6日火曜日

パンダ外交

 東京上野動物園のパンダリンリンが亡くなった。これで日本国籍のパンダはいなくなったことになる。他の8頭のパンダはすべてレンタルである。その費用はつがいでレンタルすれば1億円と言われている。しかも、たとえ子供が生まれても、中国籍となる。

 1972年、田中角栄首相のときに日中国交回復が実現し、その記念にカンカン、ランランが日本に贈られた。つまり、この2頭は日本国籍となったのである。ところが、ワシントン条約成立に伴って絶滅危惧種であるパンダの輸出入が難しくなった。そこで、現在はレンタルという方式をとっている。外貨が欲しい中国の要求ともマッチしているというわけである。

 はじめてパンダが上野公園に来たときには、大変な騒ぎだった。連日、長蛇の列で、あまりの行列に、長時間待っても、肝心のパンダの前をあっという間に通りすぎるしかなかった。それでも珍獣を一目見たさに人は並んだ。「客寄せパンダ」という言葉ができたのは、この騒ぎに由来している。

 中国によるパンダ外交は大きな成功を収めた。つまり、相手国民に中国に対する好印象を与えるのに役立っているのだ。しかし、パンダは中国ではなくチベットの動物だという指摘もある。確かにパンダの生息地は四川省の旧チベット自治区にある*。

 さらに、これだけパンダの数が減ったのは、中国軍がチベットに侵攻し、パンダの生息地を荒らしたためであるという。皮肉な話である。つまり、中国の象徴である動物は、実は、中国軍によって絶滅の危機に瀕したというのだ。

 ただし、中国のチベット侵攻は、まさに日本軍の満州侵攻と同じ構図であり、日本は中国を非難できないという指摘もある。

* パンダはかつて広く中国全土に生息していたという説もある。森林伐採などによって消滅し、開発の進んでいなかったチベットで生き残ったのではないかとも言われている。

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