スーパーコンピュータ予算が事業仕分けで見送りとなったことで大騒ぎとなっている。歴代のノーベル賞受賞者も仕分けを批判している。そこで、話題になったことが世界一を目指すことの意義であろう。蓮舫議員の「なぜ世界二ではいけないのか」という質問が、科学者の逆鱗に触れたのかもしれない。
科学者の一致した意見は、科学の世界では世界一を目指すことに意義があるということである。しかし、これは、世界一という言葉の解釈にも問題がある。科学の世界では、世界一ではなく、世界初が意義があるとされている。新しい原理、新しい理論、新しい材料など、誰が最初に発見したかが、科学の世界ではすべてとなる。栄誉は、すべて、この世界初の科学者に与えられ、二番手にはいっさいの栄誉は与えられない。
ところが、仕分け作業で注目されている世界一は、コンピュータの演算速度である。その計算速度を競うことに、どれだけの科学的意義があるのだろうか。世界一になっても、すぐに追い抜かれる。
ましてや、コンピュータは、そのままでは、ただの箱であり、そこにソフトが加わってはじめて意味が出る。コンピュータに何をやらせるかが大事であり、計算が速いだけではあまり意味がないのである。
蓮舫議員が聞きたかったのは、この問題であろう。ところが、多くの科学者は世界二に敏感に反応した。面白いことに、日本のグループが3800万円の予算で日本一演算速度が速いコンピュータを開発したというニュースが流れた。計算を速くするだけなら、市販のパソコンを並列につなげるだけで十分なのである。1000億円の金をつぎ込む必要などない。
むしろ、予算カットで問題になるのは、若手研究者の雇用の問題であろう。文科省の失政で、フリーターの博士が異常に増えている。その雇用をいかに確保するかが課題となっている。科学予算が削られると、これら雇用が守られなくなる。それこそ、多額の予算を投資して育ててきた日本の頭脳が、ムダになる。それこそが問題であろう。
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