2007年9月20日木曜日

人間いたるところ青山あり

最初の人間は「じんかん」と読む。しかし、最近では「にんげん」と呼ぶことの方が一般的なようだ。青山(せいざん)とは、骨を埋めるところという意味である。「世界は広い。自分の生まれ育った狭い世界だけがすべてではない」と解釈してもよいだろう。もちろん、別の解釈もある。

こんな漢詩の一節を出してきたのにはわけがある。博士問題である。最近では、毎年15000人の新卒の博士が誕生している。その中で、定職につけるのは20%程度に過ぎない。残りは、ポスドクと呼ばれる非常勤の職員など不安定な職につくしかない。さらに無職が8%あり、その他に行方不明者が8%ある。この中には、自殺者も多数含まれているという。

本来は社会のエリートであるはずの博士が、日本では活かされていないのだ。もちろん、制度上の問題もある。博士号を持っていない教授が日本にはあふれている。さらに、日本には人格破綻者としか思われない教授がたくさんいる。彼らは、どんなに怠けていても定年まで職を失われることはない。 このため、大学の職をめざしても、博士にチャンスはなかなかめぐってこないのである。

残念なことに、誰もこの状況を変えることはできない。もちろん、変えようと思っている人は大学にもたくさんいるし、文科省の中にもいる。ただし、多勢に無勢である。急に好転することはない。とすれば、博士が自分の考えを変えるしかない。

いろいろな分野にチャレンジする。この気概が必要である。

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