正規分布の話をブログに書いたら、「本当にそうならば、世の中あまりにも希望がないのでは」と言われた。少し反省している。何も世の中をあきらめろというつもりで書いたわけではない。事実を事実として認識すべきと言いたかっただけである。そうすれば、変な失敗をすることもない。
言いたいことは、ある職業についている人の20%はすぐれているが、それ以外のひとは、その仕事に向いていないということである。ただし、それでも、残り60%のひとは、それなりに頑張っている。本当にだめなのは20%しかいない。そう考えたらどうだろう。どうしようもないのは五人にひとり。まわりを見渡せば、納得いくだろう。
世間から蛇蝎のごとく嫌われている社保庁にもあてはまる。全員がダメ人間ではない。中には、立派なひともいたはずなのだ。「このままではだめだ。がんばろう」と努力した人もいたに違いない。しかし、悪貨は良貨を駆逐する。これも世のならいである。
正規分布の話は、政治家にもあてはまる。ただし、日本の政治家の場合、正規分布とは言っても、もともとのレベルが低すぎるという指摘もある。しようがない。選ばれてくる人間の基準は、いかに利益を自分たちにもたらしてくれるかである。選ぶ方にも責任がある。そのために、国民ひとりあたりの借金が一千万円を越えようと知ったことではない。
重要なことは、ひとの能力が正規分布しているという認識を持っていれば、他人に対して過剰の期待を持たずに済むということである。「きっと、みんなも分かってくれるはずだ」という甘い考えは世間では通用しないことも分かるはずだ。
ただし、ある能力が劣っているからといって、その人間がすべてダメという訳ではないことも言っておく必要があろう。ひとには、向き不向きがある。もっと自分にふさわしい仕事があるかもしれないのだ。そういう意味では、天職を見つけられたひとは幸運だったということであろう。
ところで、統計的には、ひとは自分に対する評価をかなり良い方にシフトしているそうだ。だから、自己分析には注意が必要である。自分が思うほど、他人は評価していない。このことを常に肝に銘じておくべきであろう。
ふと思った。自分がついている大学教授という職は天職なのであろうか。うなずこうとして反省した。自己評価を信じてはいけない。
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